精神のキャパシティ

さっき「花束みたいな恋をした」を観終わった。私が思う麦くんと絹ちゃんのすれ違いの原因である、精神のキャパシティについての考えをつらつら書いてみる。

私は基本的にこの映画に関しては絹ちゃんに共感して観ている。でも私が絹ちゃんと決定的に違うと思うことがひとつあって、それは絹ちゃんの精神のキャパシティがかなり大きいんじゃないかということです。

私は体力も精神に関してもキャパシティがとても狭い人間なのだと思う。だから疲れると本はもちろんのことアニメやドラマも見られない。ついでに言うと定期的に何を見ても面白いと思わないし精神が震えない時期があります。そんな時に1番考えてしまうのは、「私ってもしかしてこれのことそんなに好きじゃないのかな」ということ。確かに本当に激ハマリしているものは見ることが出来たりするから一概に否定もできないけれど、そんなことはないと思うのです。まず、とりあえず好きなものを好きと思えなくなるのがかなりつらいし、これを見たら元気になれるはずなのになれないと感じてしまうと自分の方を疑ってしまってかなりしんどい。

私は1秒たりとも好きなものに対して愛がない状態なんて作りたくないんだ!!!!!

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