本当に「どこでもドア」って使ってみたい?!
どうも、ドラえもんのあの手の短さでは頭の上にタケコプターは付けれないと気づいてしまった快晴です。
ドラえもんの「どこでもドア」は誰もが使ってみたい!と思う道具でしょう。
でも、この話を聞いたら少し迷う人もいるかもしれません。
どこでもドアのような行きたいところにすぐ行ける現象、いわゆる瞬間移動は同じ物体を移動させている訳ではないみたいです。
FAXで考えてみると分かりやすくなります。
FAXは紙自体をそのまま送っているのではなく、画像をスキャンして送信され、転送先で再現されます。
つまり、瞬間移動する場合、物体が移動しているのではなく、転送先で全く同じ物体を新たに作っている訳です。
そして、転送先で新しい物体ができるので、元の物体は消去されます。
(ここはFAXと違うところ)
この原理をどこでもドアで考えてみましょう。
あなたの家からどこでもドアで南極に行くとします。
自分の感覚としては、どこでもドアの扉を開けた瞬間に一瞬意識を失いますが、すぐに目を覚まします。
その間にどこでもドアは身体中の全細胞をスキャンした後、送信して、南極で全く同じ自分を作ります。
そして、家にいた自分は完全に消去されてしまいます。
全ての細胞は同じなので、南極で目覚めた自分は家からどこでもドアに入る瞬間までの全ての記憶は持っています。
なので南極に瞬間移動した感覚です。
これがどこでもドアを使った時に起こっていることです。
南極に行った自分は身体も記憶も同じなので家にいた自分と同じであると考えられますが、どこでもドアに入る当事者の立場になってみましょう。どこでもドアを開けた瞬間に気を失い、すぐに消滅してそこで人生も終わってしまうのではないでしょうか。となると、南極に行った人物は複製に過ぎず、同一人物ではないとも言えます。
少し別のパターンも想定してみます。
このどこでもドアが故障して南極にはスキャンした自分が生成されたけど、家にいる自分は消去されなかったパターンです。
このパターンは自分が二人存在することになります。
南極に無事に行けた自分と、どこでもドアが故障して行けなかった自分です。
同じ人物が2人も存在したら、いろいろ面倒なのでどこでもドアの原理通りに転送前の人物を消去した方が良さそうですが、果たしてそう言い切れるのでしょうか。
どちらかと言えば、南極に行った自分は新しく生成された自分なので、家にいる自分の方がより自分らしさはありそうな感じがします。
仮に故障で南極での生成がうまくいかなくても、家にいる自分には全く関係のないことです。
それなのに、転送された後に転送前の人物を消去されてしまうということは、、、
またどちらかを消去する場合、転送直後なら複製を消すだけで良さそうですが、時間が経過してしまうと、別々の人生を歩んでいくので、一つの人格を殺すことになります。
このようなことを考えるとどこでもドアを使う時にちょっと考えてしまいますよね。
どこでもドアを使うポイントは「何を持って自分なのか」ここになると思います。
身体も記憶も同じであれば、それがコピーであっても、それは自分なのか。
最後に質問です。
あなたの目の前にどこでもドアがあります。
このどこでもドアを使うと、あなたは消去されてしまいますが、あなたの行きたい場所にあなたと全く同じ記憶や感情や肉体の人物が生成されます。
あなたはこのどこでもドアを使いますか?
※ドラえもんのどこでもドアがこの原理なのかどうかはわかりません。
追伸
今どこでもドアきっぷというものがあるみたいです。
これはぜひ使いたいですね(^^)
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