職場でのやり場のない怒りと傷は・・・
私のいとこ(24歳女)のもえちゃんは、保育士の仕事をしている。
先日、4歳の男の子に思い切り腕を噛まれて大きなあざになった。写真を見せてもらった。一体どう噛んだらそんな大あざになるの、というくらいのもので、4歳児の顎の強さと遠慮の知らなさを思い知らされた。
アオジ、なんていうけれど青色じゃない。赤黒さとドス黒さの間に黄色や緑や紫やらがグラデーションになっていて、世にも惨めなレインボー型を描いていた。
普段、4歳なんていう年齢の人間と関わることのない私は、あんなよちよちした生き物がそんな攻撃的なことをするなんて、とかばいたくなってしまうが、いとこはもう憤慨はなはだしく、鼻息でスマホを曇らせていた。みてよ!と言わんばかりに色々な角度から撮られたおおあざ。痛々しい。
親御さんに言っても、ごめんなさいねえ、うちの子が。で済まされ
園長先生に言っても、あらあ、なんてあざ。痛そう、で済まされ
いとこは、保育園をやめてしまった。
怒りと傷のやりばに困った。とのことだ。
私が同じ立場なら、そうすると思う。ガッツがない!なんていうひともいるだろうか。でも、傷ついた気持ちのやり場がわからなくて、たとえ相手が4歳でも「仕方ないね」ですませることはできないだろうな。
自分の子供ならまだしも、人の子供であれば、一体どう叱れば良いのだろう。親御さんになんといって貰えば良いのだろう。菓子折りを貰えば気がすむか。医療費を出して貰えばなかったことにできるか。
今でもあざは痛々しくもえちゃんの腕にある。ばーちゃんのみせてみな、に対しては「みたくないから見せたくない」とのことで、私もみてなんといっていいかわからないだろうから黙っていた。
夏になっても消えなかったら悲しいな、と小さく呟いていた。
保育園の先生なんだからそれくらいのことは覚悟しておかなくちゃ、という意見はあるか。そのほど保育士の待遇や給料はよいものではない。好きという気持ちだけで丸裸で向かっていける仕事なんてない。
他にもたくさん時間外労働があって、手当ては全く出なかった。有給もない。子供たちのお遊戯の衣装代は全て自己負担で、洋裁も各自行なった。
ここまでして、甘えていた、とは言われたくない。ということでいとこは他の道を進むことにした。
保育士の専門学校を出て、保育士になるしか選択肢がなかった彼女は、都会に出て、バリバリ働くOLに長年、憧れていたという。
満員電車も、ヒールで立ちっぱなし足がつるのも、ストッキングを駅のトイレで履き替えなきゃいけないのも大歓迎ということで、以前からやりたかった販売の仕事に着くことになった。
嬉々として話しているので安心した。夏までに消えるといいな、というのは、アパレル職で着られる服が限られるのは困るからということなのか。なるほど。
今夜は彼女の門出を祝おう!
何が一番好き?と聞くと「肉じゃがと餃子!あとポテサラ!」ということだった。本日は肉じゃがと冬瓜の中華スープ、明日は餃子とポテサラということになった。2泊していくのだ。
ばあちゃんは、腕のあざなんか心配することじゃない。放っときゃ治る。そんなことで会社やめやがって、とこぼしているが、やはり孫のために何かしてあげたかったんだろう。私が餃子の材料を買いに行こうとすると、皮はうちで作ろうという。
わかった。手間かかるよ?
いいに。
ということで、自家製手ごね餃子ということになった。
餃子の皮は作ること自体は簡単。材料は中力粉400g、塩小さじ1、水200mlをこねれば出来上がる。なんのことはない。中力粉がないなら、強力粉と薄力粉を半量ずつ混ぜれば良い。これだけあれば、大きめサイズの餃子が20はできてしまう。うちは冷凍分も作るからこの倍をこねる。
HBでこねてもらった。10分こねて、5分は手でまとめながらさらにこねる。その男の子は、いつか、じぶんが幼稚園の先生の腕を噛んだことを思い出すのかな。記憶の片隅にでも残るんだろうか。悪かったな、なんて少しでも思う日は来るのかな。その頃にはもう、いとこも彼を許せるようになっているだろうけれど。
みんなが和解して幸せになるといいなあ。と漠然と考えながらこね続ける。塊を20に切り分けて一つずつ丸めていく。それを綿棒でできるだけ丸くなるように、均等に薄くのばす。
丸くならなくて、いい
ばあちゃんはいう。このタイミングでいうとなんだか意味深だけれど、餃子の皮の話だ。どうせ口を閉じるんだから、いびつでも最後はうまくいくということ。人生もそんなふうならいいのになあ。いびつでも、最後はどうにかうまくまとまって綺麗な餃子が出来上がる。
そんなふうに
出来上がった餃子は厚い皮に包まれて誇らしげに形を保っていた。スーパーで買うそれで包まれた餃子とは出来上がりの形が違う。カチッと、本来の餃子ですよ、という角がある形。
時間をかけてじっくりじっくり焼いた。何度も水を入れて、その度に肉汁とごま油が水和された。
各々、こんがり焼けた餃子の角に負けないよう、かぶりついている。上あごを怪我しないで。
もえちゃんも。ガブリ。じゅわーっと出てきた肉汁が顎を伝わっている。恥ずかしそうに笑ったが拭わずに食べている。本気だ。
餃子好きの人は肉汁を恥ずかしがったりしない。ぼたぼた落ちても、服を汚しても口の周りがテカテカと光って食いしん坊に見えても、構わず次のワンバイトに進む。もえちゃんもそうだ。もえちゃんの前途がこんな積極的な、いい形になりますように。心から願って私もひたすらかじった。