トンネルの中じゃない
たまたま、どこかのコメント欄でその人を見つけた。
懐かしい名前だなあ。そう思った。
その人は、私をいつのころからかフォローしなくなった。
私が、元気になったころからだと思う。たぶん、私がいつも元気でいきいきしていると思っているんだろう。自分が置いてけぼりになると焦る気持ちでフォローを外したんじゃないかな、と想像する。
というのは、あるときにこんな言葉を受け取ったからだ。
微熱さんは、もう微熱さんじゃないみたい。
私は前の微熱さんの文章が好きでした。弱さが自分と似ていたから。
今は、もうついていけないと思っています。すっかりよくなられて。
私は、しばらくたってから考えて、どうぞ、あなたの気が楽なようにしてください、と言った。それでおそらく名前を見かけなくなったんだろうと思う。
なんにせよ、このnoteのどこかで少しでも元気にやっていてほしい。人は元気になったり、そうでなくなったりするから。それでいい。私もそう。
そういう時は熱いコーヒーを飲んだり、ドーナツを食べたりしてゆっくりすればいい。昼寝を心置きなくして。働いていないことも、家事ができていないことも、まずは置いておけばいい。そんなことは忘れてしまえばいい。
いまトンネルの中にいると思っているなら、そんなことを考える必要はない。トンネルはない。自分の居場所が暗いと思いたいときもある。でも実は、さいしょから明るい光の中を生きている。雲がたちこめるその上には、かならず光があるように。なにも光がないのなら、曇ってることすらも見えないはずだから。
トンネルの中じゃない。光の中にいる。
私は嫌になる時も、辛くなる時も、いつもそう言い聞かせて生きてきた。
きっと、全部よくなります。その時にはまた、私のいまの言葉を読んでくれるといいな。私のあの時の記事も、今の記事も、結局はおなじです。ずっと光の中にあります。