出せなかった記事、言えなかった言葉
おこんばんは。
布団の中からこんにちわ。微熱です。
わたしは今から4年前…かな。
noteを始めたんだけどその頃は布団から出られなくてこうして布団の中で記事を書いてました。
今はiPadやパソコンでぱちぱちっと書いちゃうんだけど、昔はこうして一文字ずつ追いながら書いてたなと思うとなんだか懐かしいです。
当たり前だけど、窓の外は暗闇。
とおくでヘリコプターの音がしてて、この時間にヘリコプターに乗る人は何をしてるのか想像してみる。
仕事?なんかの調査とか?
まさか人を探してるなんてことはないだろうな。そしたらニュースになってるもんな。
今日、創作を出してみた。
これは全部、創作。と言いたいところだけど実はちょっと違う。
スカートを履いてウィッグをつけたおじさんは、本当に終電に乗っていた。
眼鏡の隅でちらちらとみてる主婦というのはわたしだ。大学生もいた。ポップコーンも散らばったのだ。
もうずいぶん前、東京でのことだ。
暑い日だったな。
寝かせてあげなさい、と言う人は現れなかった。わたしはそれを言いたかったけど、どうしてもできなかった。
そのおじさんは明らかに寝てるフリをしてるのはわかっていたのに、みんな何もできなかった。
だからせめて、この人には待ってる人がいて、恋をしていて生活があって。こんな大学生のくだらないいたずらなんて屁でもないんだ、と
そう思いたかった。この人のお父さんか、それに似た人が現れて守ってくれる、という物語が欲しかった。
昔、noteでコンテストがあった。
SDGsに関する記事を募集するもので、それはジェンダーの自由もまたテーマの中に入っていた。
わたしは実は、この話をエッセイとして書いていて、出そうと思っていた。けど、やめた。
わたしは、この話を出さないことがSDGsだと思った。それは、恥ずかしいことだから表に出さないと言うことではない。
あえて、こんなことがありましたよ!わたしはこう思ったんですよ!とうるさく取り上げることのほうが、結局いままでと同じ気がしたから。
だって、持続可能ないい世の中にしたいなら、書いてないでその場でとっとと助ければいい。
それができないなら、書いてることに意味なんてない。
やらぬなら
書いても無駄だ
SDGs
偉そうに言ってるけど、結局はあのとき何もできなかったことが悲しいんだろ?
おやすみなさい。
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