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〔翻訳〕ソナタ 詩・M. K.チュルリョーニス

(アレグロ)

秋。打ち捨てられた庭。
半裸の木々が鼻をすすり、葉で道を覆う、
空は灰色で灰色でとても悲しく、
まるで魂だけが悲しむようだ。
ひとりが花壇と芝生を歩く、
肩には袋、手には熊手を持っている。
最近花が咲いた花壇を歩いていて、
今は何もかも同じだ。
秋。魂は悲しく、
空はすっかり灰色だ。道はもう無い!
黄色がかったカエデの葉で覆われている。
木々は荒れ果てた庭に半裸で立ち、鼻をすする。

(アンダンテ)

秋。雨はまたぱらつき、葉はゆっくりと落ちていく、
渦を巻きながら草の上に、茂みに、道に
落ちていく。それでも。
一枚の死んだ葉が
浮かんでいる私の顔に触れ、
手に触れ、そして足元に落ちて
つまずかないように庭を歩き回り、
私は他の葉っぱを踏みつけた。
庭をさまよい、他の葉を踏みつけ、足でそれらを感じた。
こんなにたくさん、こんなにたくさん──放っておけない。
しかも、妙に乾いていて、厚くなっている、
まるで「気にしないで、気にしないから」とでも言いたげだった。
庭の真ん中には空き家がある。
ここには少し前まで人が住んでいて、
子供たちは窓から外を眺めて笑っていた。
窓が板張りになっているのは悲しいけれど、
家は空っぽだ。

(スケルツォ)

秋。雨がやんでいる、
太陽が悲しい雲のカーテンを突き破って外を見た。
なんて美しいのだろう!
荒れ果てた庭が輝いた、
半裸の木々は鼻をすするのをやめた、
しかし、葉はまだ草の上、茂みの上、小道の上に落ちている。
彼らは気にしていない。

(フィナーレ)

秋。魂は悲しむ。太陽が見たものは何もない──いっそう悲しくなる。
私は空き家のそばのベンチに腰を下ろし
板張りの窓を眺めた。
そして庭が果てしなく続いているように思えた。
それは一面に広がり、荒れ果てている。
あちこちに空き家がある、
窓は板で塞がれている、
小道も道も、枯れ葉で覆われている。
秋は大地全体を覆っている、
そして大地は悲しく荒涼とした庭だ。
半裸の木々が枯れ葉をすすって泣いていて、
どんどん増えて、地上のすべての道を、すべての線路、すべてのものを、すべての小道を、
すべてすべてを覆っていく。
大地一面に広がる秋と悲しみ、
花壇と芝生の間をひとりが歩いている、
肩には袋、手には熊手を持って、
家をノックしても無駄だ、
ノックは続く、もっと遠くへ、もっと遠くへ、どこまでも、どこまでも。
家は空っぽで、窓は板で塞がれている。
かつて人が住んでいたことなど子供たちが窓から外を眺めて
笑っていたことも、なんの意味もなかった、
今は空き家で、窓は板で塞がれている。
そう、秋だ。庭は閑散としている。木々は鼻を鳴らして泣いている。
空は灰色の灰色で、とても悲しく、
魂だけが悲しむことができるかのようだ。
秋。

(M. K.チュルリョーニス作)

Etiudas, Mikalojus Konstantinas Čiurlionis, 1907

出典:
Žodžio kūryba, Mikalojus Konstantinas Čiurlionis, Vytautas Landsbergis, Lietuvos rašytojų sąjungos leidykla, 1997


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