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大学受験の頃

歳を重ねて、受験のときのことを思い出せなくなってきた。だが、人生の中で大きなイベントだったことはたしかなのだから、忘れきってしまうことは寂しい。ここにほんのすこし、記録を残しておくことにした。

志望校を決めたのは2年生はじめくらいだった。最初は地元にある大学に行こうとしていたのだが、先輩から「この大学はチャラい」と言われて、嫌だなと思って、やめにした。夏にそこのオープンキャンパスにも行ったのだが、学生のことはあまりちゃんと見ていなかった。逆に、受験した大学のオープンキャンパスには行っていない。なんでだろう? よく覚えてないな。

地元の大学をやめにしたので進路が不確定な状態になってしまったのだが、担任に相談したところ文学部なら◯大と△大あたりがよいと言われたので(文学部に行く、ということだけ決めていた)、比較的近所にあった◯大を受けることにした。遠方に行ってひとり暮らしをすることは、私も親も考えていなかった。

高校に入ったときには、希望していた学校に入れたことに満足して、「この学校なら真ん中くらいの成績でいいや」と思っていたことを覚えている。実際、1年生の最初の方は真ん中くらいの成績だった。ところが夏休み明けの実力テストでたまたま、これは謙遜ではなく夏休みの宿題を最後まで残していたことでテスト問題に同じ問題が出て助かったということで本当にたまたまなのだが、いい成績をとったことで、夏に一気に仲良くなった部活の友達から「かしこいやつ」認定をされることになってしまった。

一度「かしこいやつ」だと思われると、そのあと「こいつ結局アホやったんや」と思われるのは非常に辛いものがある。率直に言えば、私が勉強に身を入れ始めたのはキャラを守るためだった。

とはいえ、3年生にあがるまではあまり勉強していなかった。受験は先だったし、部活が好きだった。うちの部活は月・木が休みだったが、月曜日は部員で筋トレをし、木曜日はある体育館にいってそこに集う選手たちと試合をしていた。火曜日も、部活後にやはり体育館に行って追加で練習した。朝練と昼練もした。今から思えば、よくそんなに体力がもったものだ。ところがこれも謙遜ではないのだが、私はあまり強い選手ではなかった。あんなに練習していてあの程度の実力だったというのは、ちょっと不思議だ。やり方が悪かったのだろう。

3年生になって部活を引退してからは、本格的に受験勉強!という雰囲気になってきた。

私は塾に通っていなかった。親は塾嫌いだったが、頼めば通わせてくれただろう。ただ、今でもそうなのだが、私は人の話を聞くだけでいるというのが非常に苦手だ。自分のペースでできないことが苦痛である。塾に行かないと合格できないのではないかという不安ももちろんあったけれども、自分に対する信用のなさが不安に勝つ形となった。

結果的に合格できたけれども、この選択が正しかったのかは微妙なところだ。実はある塾の模試を受けたときにその塾の授業を一回だけ受ける権利をもらえたので受けたのだが、そこでは私の知らなかった受験テクニックが多数紹介されていた。そうしたテクニックを知っていれば、あるいは私の受験はもっと楽だっただろうと思う。私自身大学に入ってから塾講師のアルバイトをしていたが、塾の売りは学力というより情報である。塾に行かなかったことで、私が情報戦に遅れをとっていたことは確かだ。

また、塾に行っていなかったことで自習できる場所がないという問題も生じていた。学校は遅くても19:00くらいで閉まる。お金がないのでカフェには行けない。結果家でやるしかないのだが、家には漫画とかベッドとかがあり、大して集中できない。近所の図書館の「自習禁止」という張り紙を、私はとても恨めしく思った。今でも憎悪している。

夏休みは午前中学校の補修を受けて、午後は学校が閉まるまで自習室で勉強した。数学に特に力を入れた。下手の横好きではあるが、私は数学が好きだ。結局二次試験の科目でも数学を選択した(数学か社会か選べたのである)。80点はとれるつもりで受けたものの、あとから確認すると50点しかとれておらず、危うく数学で落ちかけた。

高校は坂の上にあった。登校中、あるきながら参考書を読んだ。いまは危ないので歩きながら読書することは滅多にないが、当時はなぜか「大丈夫」だ、と思っていた。なぜそんな確信があったのか、今となっては思い出せない。若さゆえの万能感だろうか。

自分の学力は定期的にあった全国模試で把握していた。合格判定でCとかBとかが出た記憶がないから、たぶんDとかEとかだったのだろう。

けれども、いわゆるすべり止めは受けなかった。すべり止め校用の勉強をする時間がもったいないと考えたからだ。この戦略は正しかったか?おそらく間違っていたのだが、とにかく受験した学校は、第一志望の大学の前期と後期のみ。我がことながら強気である。

受験生だったころの冬、漫画の『咲』にどっぷりとはまっていたことを覚えている。『咲』で麻雀を覚えた。多種多様な咲のSSも、有名どころはだいたい読んだし、ふたばちゃんねるの咲スレ(単独の作品のスレッドとしては珍しく、ほぼ絶え間なくスレが立っている奇妙な場所)にも出入りしていた。もし受験に落ちていたとしたら、数学と『咲』が原因だったことは間違いない。

逆に、受験生だった一年は本をほとんど読まなかった。私は中1のころから読書記録をつけているのだが、振り返ってみるとこの年に読んだ本の数は20くらい。高校のころといえば徹夜で有川浩を読んでいたような時期だから、20はかなり少ない冊数だ。移動時間中も単語帳を読んでいたし、よほど本を読む時間がなかったのだろう。そのわりには『咲』とか見てたわけだが、まあ自分としては読書より楽しかったのだから仕方ない。

さて、受験生の頃の私は熱心に勉強していたか?いや、ちょっと怪しい。私は何か一つのことだけに100%コミットすることは、ほとんどない。大学院の受験の時も博士論文を書いているときも、自分で自分を褒められるほど熱心にやっていない。

ただ、振り返って思うのは大学受験とは努力が数字というわかりやすい形で現れる最後の機会であったということである。特に単語や文法は、覚えれば確実に点数につながる。大学に入ったあと、そんなわかりやすい評価のされたかをすることはほとんどなかった。部活は練習しても強くなっているかわからなかったし、研究はもはや優秀かそうでないかという基準さえ人によってバラバラである。

たまに資格勉強にハマる人がいると聞くが、努力と点数が結び付く世界への郷愁みたいなものがあるのではないかと思う。頑張っても結果に結びつかないことが多い場所でしばらく過ごしていると、数字で割り切れる世界が輝いて見える。なんなら私自身、意味もなく資格勉強をしてもいいような気分だ。

この記事を読んでいる受験生がもしいれば伝えたい。受験は確かに辛く、精神的に重たいものだが、一方で点数で全てが割り切れるという簡明さがある。それは受験を最後に人生から失われるものだ。就職や研究、恋愛や人付き合い、出世などなど、どれも数値化されない、相性とか縁とかいった非常に曖昧なものが絡んでくる。そういう意味で、私はAO模試に反対である。点数で計られることの甘美さを、そんなに早く捨てなくとも良い。

素朴に言ってしまえば、数字で見える勉強はわかりやすく楽しい。私はもっと、受験勉強を楽しむべきだった。







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武久真士
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