歌うことについて歌う歌:米津玄師「ゴーゴ幽霊船」
〇ボーカロイドは難しい
ボーカロイド曲の歌詞には、意味不明なものが多いです。
ポップの歌詞にももちろん意味不明なものもあるのですが、「愛」とか「希望」とか「夢」について歌ってるんだ、と言えばある程度は説明できるでしょう。
ところがボカロの歌詞はこんな感じです。
さあ 憐れんで血統書 持ち寄って反経典
沈んだ唱道 腹這い幻聴
謁見 席見 妄信症
踊れ酔え孕め アヴァターラ新大系
斜めの幻聴 錻力と宗教
ラル・ラリ・唱えろ生
(日向電工/初音ミク「ブリキのダンス」)
安寧の日々は滑稽なヒビへ形を変える
エス・カーストの最下層
トロイメライ覚めカオスな今へと
終焉間近の演目で足掻く有様 無様
腐乱、ブラクラを踏み抜けば
破棄場が手を招く
(TaKU/GUMI「アンベシル滑落奇譚」)
かなり頑張ったら分析できるかもしれませんが、ぱっと見きついですよね。
ところで、いま大人気の米津玄師はもともとボカロP(ボーカロイド・プロデューサー)でした。つまり、曲と歌詞を作って初音ミクなんかのボーカロイドに歌わせる人です。
米津は米津でも、最近の「Lemon」や「パプリカ」、「まちがいさがし」なんかは分かりやすいテーマを持っていると思うのですが、歌手として活躍し始めた初めの方の曲には分かりにくいものも多いです。
でも米津好きだし、頑張ってみるか、というわけで今回はその分かりにくい初期曲のひとつ、「ゴーゴー幽霊船」について考えてみたいと思います(リンクはYouTube)。
〇米津玄師の経歴
「ゴーゴー幽霊船」の歌詞を見る前に、彼の基本的な情報を押さえておきたいと思います。あ、先に言っておくと、僕は米津の曲のファンですが米津本人のことはあまり知らないので、情報ソースはWikipediaです。
先述したように、米津はもともと「ハチ」という名義でボカロPとして活躍していました。「パンダヒーロー」や「マトリョシカ」などが代表作かと思います。ハチがボカロPとして作った曲は人気のものが多く、ボカロ曲全体として見てもこれらの曲は有名です。
今の「米津玄師」名義で活躍し始めたのは2012年です。この年に「街」や「vivi」、そして「ゴーゴー幽霊船」を収録したアルバム『diorama』を発売し、ヒットします。この『diorama』では、ボーカロイドは使われていません。曲はすべて米津玄師自身によって歌われています。
その後2013年にメジャーデビュー。2014年には、「アイネクライネ」「MAD HEAD LOVE」などが収録されたメジャーデビュー後初のアルバム『YANKEE』を発売します。
そこから2015年に『Bremen』、2017年に『BOOTLEG』、2020年に『STRAY SHEEP』を発売。精力的な音楽活動を続けています。ちなみに僕が米津の曲を聞き始めたのは、『Bremen』が出る直前くらいでした。
私見では、彼の曲の特徴はそのメロディにあります。曲のメロディが普通のJポップからずれている感じです。今回の「ゴーゴー幽霊船」もそうですし、「Framingo」とか「春雷」とか、変わった曲が多いです。
とにかく大切なのは、「ゴーゴー幽霊船」が、米津玄師のボカロPから歌手への転換点に位置づけられる曲だということです。今回は、そのことを意識しながら「ゴーゴー幽霊船」の歌詞について考えていきます。
〇歌うことについて歌う歌:「ゴーゴー幽霊船」
最初に結論から言いますと、僕はこの歌を「歌うことについての歌」として捉えています。それを踏まえた上で、順に歌詞を見ていきましょう。
ちょっと病弱なセブンティーン
枯れたインクとペンで絵を描いて
継いで接いでまたマザーグース
夜は何度も泣いてまた明日
回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい
これが「ゴーゴー幽霊船」冒頭です。「ゴーゴー幽霊船」は人気のある曲で、ちらっと検索してみたら多くの人が歌詞分析を行っていたのですが、ここに出てくる「僕」と「君」の物語だと読んでいる人が多いですね。ぶっちゃけ、たぶんその線で読むのが正当です。
まあ話半分に聞いてください。
「セブンティーン」は「枯れたインクとペンで絵を描いて」、「マザーグース」を継ぎ接ぎする、つまり創作をしようとしています。僕はこれを作詞作曲につなげて読みます。この「継ぎ接ぎ」感は、冒頭で挙げたボカロの歌詞の「継ぎ接ぎ」感を意識しているのではないでしょうか。米津がニコニコ動画に楽曲をあげ始めたのも、ちょうど高校生のくらいのときでした。
のちのインタビューでは、次のようなことも言ってますね。
言葉が難しいんですけど、“いろんなものを寄せ集めて作られた自分”という皮肉めいた話があって、“それでも、これだけ美しいものを作ることができるんだ”ということを端的に表現する言葉は何かって考えたときに、浮かび上がったのが『BOOTLEG』という言葉だったんです。
(Real Sound「米津玄師が語る、音楽における“型”と”自由”の関係「自分は偽物、それが一番美しいと思ってる」)
歌詞で他に注目したいのは、インクが枯れていることです。この曲には、しばしばこうした「欠損感」が出てきます。「僕の声と頭はがらんどう」とかもそうですね。
では何が欠けているのか。「僕」自身の身体ではないでしょうか。アンドロイドとはボーカロイドのことで、彼女に歌を歌わせているボカロPとしての「僕」は、自分の「声」を持たない。つまりセブンティーンや「僕」が歌い手で、「君」とは初音ミク(ボーカロイド=アンドロイド)なのでは?
ずっと病欠のセブンティーン
曇らないまま今日を空き缶に
空の雷管とペーパーバッグ
馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた
あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど
そんなこんなで歌っては
行進する幽霊船だ
善いも悪いもいよいよ無い
閑静な街を行く
「空き缶」「空の雷管」、やはり何か欠けている感じがします。
ボカロPである「僕」はアンドロイドに「本当の嘘」=フィクションとしての楽曲を歌わせます。ボーカロイドに声を任せている「僕」は、歌っているけど歌っていない、「幽霊」のような存在です。
だから「ゴーゴー幽霊船」とは、ボーカロイドを載せて進む船=ボカロPのことなのではないでしょうか。
電光板の言葉になれ
それゆけ幽かな言葉捜せ
沿線上の扉壊せ
見えない僕を信じてくれ
少年兵は声を紡げ
そこのけ粒子の出口隠せ
遠い昔のおまじないが
あんまり急に笑うので
作詞をしてボーカロイドに歌わせるだけの「僕」は、「電光板」、インターネットの中の言葉としてしか存在しません。「幽かな言葉」の「幽かな」は「幽霊」を連想させ、やはり「言葉」として「幽霊」が存在していると分かります。だから、言葉だけで存在する「幽霊」としてのボカロPを歌った歌だと聞けるわけです。
「ゴーゴ幽霊船」は米津玄師名義で活躍を始めたアルバム『diorama』の二曲目に収録されており、アルバムの中でも重要な位置を占めています。つまり、「僕」が「幽霊」を脱して声を持ち始めた時に発表されたのが、この「ゴーゴー幽霊船」なのです。
※ちなみに一曲目は「街」という曲で、アルバムの一曲一曲を「家」とみなして、アルバム自体を「街」として表現しているように思えます。
〇おわりに
以上、今回は米津玄師の「ゴーゴー幽霊船」を、歌を歌うことの歌として考えてみました。
そんなに複雑なことをする人かな?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、例えば久しぶりに「ハチ」名義で発表したボカロ曲「砂の惑星」は、次のように解釈されています。
歌詞では、ニコニコ動画界隈でのユーザー減少などの変遷を「砂漠、砂の惑星」と捉えたイメージが終始書かれ、また、次世代のクリエイターへバトンを渡す意味合いの込められたようなメッセージ的なフレーズも取り入れられている。途中には過去にボーカロイドを用いてリリースされた複数の楽曲をオマージュしたフレーズが登場する。(Wikipedia「砂の惑星」)
同じようなことを米津はインタビューでも言っていて、音楽そのものに対する批評的な意識がけっこうある歌手です(歌を作るような人はそういう意識を持たざるを得ないのかもしれませんが)。
毎アルバムごとに曲調が変わる面白い歌手なので、人気が出すぎて倦厭している人も、「ゴーゴ幽霊船」のような初期の曲を一度聞いてみていただければと思います。だいぶ印象が違いますよ。
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