外国に住み母への思いが溢れ出した瞬間
制作をしていると不測の事態が起きることも結構ある。
母の誕生日プレゼントを、制作して日本に帰る友人に託そうと思っていたところ、
鋳造の不具合と、私のチェックの甘さが引き起こした、
彫りの時点、制作の終盤でメタル部分が剥がれるという
落胆の瞬間があった。
時間がない時に限って、こういうことが起きる。
大切なのは、
「なんで! どうして!」
という考えに苛まれそうなところを、
「ではどうするか?今できることは?」
と自分への問いかけを変更する必要がある。
そこまでに費やした長い時間のことは、さっさと忘れ去るべし。
鋳造品を一から糸のこと、やすりで綺麗に整えて、丸カンをロウ付して、
その日の夜までに翌日は彫りに入れる状態まで持って行った。
落ち込み後に、しっかり切り替えて立ち直れた自分を誇らしく思いながら、子供たちと日本のテレビ番組をユーチューブで見ながら、夕食を食べる。
主人は、アンコーナという街で出版記念会とダンテ講演会があって不在だったので、日本語漬けの週末である〜〜
翌日は、子供たちがまだ眠っている間に、できるだけ先に進める。
しかし、母への気持ちは忘れずに、一本線を彫るごとに
「いろいろとありがとう。」「ずっと元気でいてね。」
など心で呼びかけながら。
すると、幼い頃の記憶が蘇る。
温泉旅館で育った私は、母が大好きだった。
女将さんとして、旅館を切り盛りしていた母は、一緒にいたい時に、そばにいてくれなくて、寂しい思いを幾度もした。
そんな母と温泉に一緒に入るひと時が、とりわけ好きだった。
母の頭の中には、なすべきこと、お客さんのことなどでいっぱいだったのだろうが
私のとりとめのない話に付き合ってくれた。
「お母さんと離れたくないから、大きくなったらお婿さんに来てもらおう。」
と私が言うと
「ありがとう。嬉しいわぁ。」
と母。
それなのに私はこんなに遠くまで来てしまった。
寂しいだろうなぁ。
ごめんなさい。
という思いがこみあがる。
そんな思いが胸に広がっていた時、起き出して来た次女が私の作業台のところに飛んできてからニコッとする。
この笑顔は何物にも代え難いパワーをもたらしてくれる。
私もこうやって、母に笑顔を送っていたのだなぁ。
それが母への最大の贈り物なのだと自分に言い聞かせる。
どんな道を選んでも、そこに幸せを見出して
自分で自分を幸せにできる力が、この子にもつきますように!
母と子と両方への思いを込めて、作業を続ける。
フィオル ダ フィオーレ ピアス 925シルバー アメジスト 西洋彫り
今日も最後までありがとうございました😊