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柿の思い出
亡き祖父母の住んでいた家はもう他人様の手に二束三文で渡ってしまっている。
その少し前に、あの柿の木は祖父が伐採すると決めた。もう高齢で自分で手入れをすることができないと聞いたときは悲しかった。
祖父は、父親(私からみて曾祖父)が借金の保証人になったがために、家屋敷からお手伝いさんまで全財産失った。苦学して進学するも、青春時代を戦争に奪われ、波乱万丈の人生を経て、晩年やっと故郷に錦を飾るつもりで小さいながらも自慢の城を建てたのだった。
その家の玄関の前にあった柿の木のこと。
よく実った年には私も高枝切りバサミで収穫の真似事をさせてもらった。それを祖母が干し柿にするのも手伝った記憶がある。その柿の木の下に、孫たちのために祖父が砂場をつくってくれた。柿の木にロープをくくりつけて、ブランコも作ってくれた。
ジジババっ子だった私には柿の木との思い出は尽きない。柿の実を食べるというよりは、柿の木に遊び相手になってもらっていたようなもの。柿の木が私たち孫の成長を見ててくれた。
ジジババと呼べる人が居なくなって、母の従妹にあたる親戚から、柿が送られてきた。うちのジジババが柿が好きだったからと。
ジジババの前にお供えします。
私がこうしてジジババのことを思い出してるうちは、ジジババの声が今にも聞こえてくるような気分になる。
ただただ会いたい。