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#225 東南アジア旅行17日目!(悲しい過去を繰り返さないために)

1 猿の神様「ハヌマーン」


本日は朝から、
牛肉の鉄板焼きプレート!笑

目玉焼きと玉ねぎに、
甘辛いソースが絡んで美味でした。

値段も200円くらいでとってもリーズナブル。
自宅近くにあったら毎日リピートしそうです。

腹ごしらえした後は国立博物館へ。

タイでは国立博物館前でえらい目に遭いましたが、
プノンペンではそんなこともなく・・・笑

こじんまりした館内でしたが、
仏像を主軸にして、
美しい展示物がずらり。

今回の旅行では、
様々な寺院を訪れる中で、
ヒンドゥー教の神様に詳しくなったのですが、
なかでも「ハヌマーン」という猿の神様は、
可愛らしく、コミカルに描かれたり、
作られたりしている彫刻や像が多くて、
人々に親しまれていることがわかります。

そういえば、
マレーシアのバトゥ洞窟にも猿が住み着いていたし、
プノンペンの街中でも猿を見かけました。

そして極めつけは、
ビールの銘柄にもなっているのです!笑

これがさっぱりとしている中にも、
きちんとコクがあり、
バランスが取れていて旨い!!!

日本でも手に入れば、
リピートするんだけどなぁ・・・笑

2 カンボジアの悲しい過去


ちょっと遠かったのですが、
街中の様子を知りたかったので、
1時間ほどテクテク歩いて、
トゥールスレン虐殺博物館へ。

皆さんは「虐殺」と聞いて、
何を思い浮かべるでしょうか?

恐らく、ナチスドイツによる、
ユダヤ人の大量虐殺を連想される方が多いと思います。
第二次世界大戦時ですから、
今から80年ほど前の話ですね。

僕もそうだったのですが、
もっと時代が下った1970年代、
非道で残酷な大量虐殺が、
ここ、カンボジアで行われていたのです。

ポル・ポト率いる、
クメールルージュ政権による、
自国民の大量虐殺。

彼らが政権を持っていた、
3年の間に殺された人々の数は、
当時の人口の3分の1にあたる、
200万人とも言われています。

ここは、政治犯として収容された罪なき人々が、
残虐な拷問の末に殺害された収容所なのです。

当時のカンボジアは、
ベトナム戦争の余波を受け、
アメリカ軍の爆撃によって、
深刻な食糧難に陥っていました。

そんな中で政権を握ったクメールルージュは、
極端な原始共産制を実行。

原始共産制とは、
「健全な身体を持つ全ての人間は食料の獲得に従事し、
狩猟や収集により産み出されたものを全員が共有する」とする、
極端な共産主義です。

こうしてクメールルージュは、
都市部の人間を根こそぎ農村部に移住させ、
強制的に農業に従事させます。

首都であったプノンペンが、
人っ子一人いない廃墟になったというのですから、
開いた口がふさがりません・・・。

クメールルージュは、
原始共産制を強行するために、
愚民政策も並行して推し進めました。

弁護士、医者、教員、公務員、エンジニア、芸術家・・・。
彼ら知識人は、
新しい制度を展開するにあたって、
邪魔な存在だったわけです。

外国人はもちろんのこと、
外国語を知っているだけでも知識人とみなされ、
全国各地に無数に作られた強制収容所に連行され、
酷い拷問を受けました。

彼らは罪なき人々ですから、
収監される理由などないのですが、
クメールルージュは、
殺害する理由をつくるために、
罪をでっちあげ、拷問を行い、
収監された人々に嘘の自白を求めました。

生まれたばかりの赤ん坊から、
満足に歩くこともできない老人まで、
文字通り老若男女、様々な人々が、
冷酷な拷問での自白を求められたあと、
処刑されたのです。

ここ、トゥールスレンには、
収監された建物や、
拷問に使われた器具、
拷問の様子を再現した絵画、
収容者の顔写真や、
亡くなった際の写真が展示されており、
この世のものとは思えない地獄絵図が、
確かに行われていたことを突き付けられます。

3 過去から何を学び、未来を紡ぐのか?


お借りした音声ガイドから流れた一節が、
今も僕の心に残っています。

「あなたはこの地を訪れたことで、
悲しい歴史を共有する一人となりました。
ぜひ、この地で起こったことを、
あなたに関わる人にも伝えてください。
そして、歴史を繰り返さないために、
何ができるかを考えて欲しいのです。」

ハッとさせられました。

日本では8月になると、
マスメディア各社が太平洋戦争に関する特番を組みます。

戦争の悲惨さは伝わります。
二度と起こしてはいけないものだとも感じます。

でも、マスメディアがやらなければならないのは、
当時、どのような内政や外交を経て、
外国との関係が悪化したのか。

どうして軍部は暴走し、
国民はそれに追従したのか。

これらをきちんと分析したうえで、
何が問題だったのかを徹底的に報道すべきなのです。

そして、現在の情勢を鑑みたときに、
内政・外交の両面で、
どのような政策を実行するべきなのか、
その選択肢を示すべきなのです。

ホテルに戻り、
最上階からプノンペンの夜景を眺めました。

悲しい過去から約50年が経ち、
きらびやかに発展した首都。

しかし、その裏側にある過去をきちんと知り、
未来に向けて何ができるのか、
考える姿勢の大切さを思い知らされた1日でした。

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