歴史考察 #159『 安土城にはドームがあった⁈』
こんにちは、véritéです。
安土城は、織田信長が天下統一の拠点として、1576年から3年の歳月をかけ、当時の技術の粋を集めて築いた居城といわれています。
その「天主」は、地下1階地上6階建、天主の高さは約32メートル。
「それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であった」と推測されています。
しかし、1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後、まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城。
現在は石垣などの一部の遺構を残すのみですが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイス(1532〜1597 / ポルトガル出身 イエズス会宣教師)などが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができます。
特筆すべきは、シャルルヴォアが描いた安土城(1736年)です。
お城の姿をよーく見ると洋風のドームが!!
そして、山頂へと続く道、道の途中に造られた門…
そこで思い出されるのは、オーストリア、ケルンテン州、ホッホスターヴィッツ城です。
こちらは、860 年に初めて文献に登場した古い岩の城ですが、シャルルヴォアが描いた安土城に雰囲気が似ていませんか?
さらに、シャルルヴォアが描いたお城のドームは、佐賀の有田ポーセリンパークにも似ていませんか?
そんな有田ポーセリンパークは、ドイツのツヴィンガー宮殿を忠実に再現したといわれています。(瓜二つ!!)
ちなみに、安土にある滋賀県立安土城考古博物館を訪れると、ドームのある洋風の建築物が!!
特筆すべきは、現地では安土城を「天守」ではなく「天主」と表記していると...
天主とは、デウス(Deus)の翻訳のひとつで、カトリック教会などで、三位一体の神を指す。
また天主は、仏教における諸天の中心である天神で、帝釈天・インドラ、毘沙門天のこととも...(つまり天守も天主も同じ?!)
信長は赤ワインを飲み、"ビスコート"と呼ばれるビスケットに近いパンを嗜んだり、新しモノ好きとも言われていますよね...
いずれにしましても安土城はどんな姿だったのでしょうね。
想像と浪漫が広がる安土城です✨
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