歴史考察 #183『Xの家紋は古代キリスト教から?!』
こんにちは、véritéです。
母方の実家のある福島県二本松市には、かつて二本松藩があり丹羽氏が治めていました。
その丹羽氏の家紋は、✖印とも見える直違紋(すじかいもん)
現代の日本では決してポジティブな形とはみられませんが、なぜ丹羽氏は✖印を家紋にしたのでしょうか?
早速丹羽氏の家紋の由来を調べてみますと、丹羽長秀の旗指し物の短冊が激戦をくぐり抜け2枚残ったものを家紋としたという説。
また、戦場にて刀の血を拭ったあとが紋のように見えたことからという説がありました。
そもそも印が生まれたのはいつ頃なのでしょうか?
✖印は平安時代以後「阿也都古(アヤツコ)」と呼ばれ、アヤツコには異界とこの世の行き来を禁止する意味があり、初めて外出する乳幼児の額や、葬儀の際に死者の胸に書くなど魔除けの記号、呪符として用いられたのだとか。
✖印が魔除けの記号だったのであれば家紋利用に合点がいきます。
ではなぜ✖印印が魔除けとされたのでしょうか?
そこで思い出されるのはネストリウスの額の✖印です。
ネストリウスは異端とされたキリスト教の大主教で、異端認定後、ペルシャ、インド、中国へとのがれ、中国では景教と呼称され、奈良時代の日本にもたらされたともいわれます。
そんなネストリウスの額にある✖印は、キリストを表す古代ギリシア語Χριστόςの頭文字「X」なのでは?!
ちなみに二本松藩では蒲生氏郷がキリシタン大名であった影響から、東北地方におけるキリシタンの根拠地のような地域になっていたとも...
これらのことから丹羽氏の「直違紋」は、古代ギリシア語Χριστόςの頭文字「X」なのでは?!
そして、ひょっとすると「違い矢」もΧριστόςの頭文字「X」から?!
いずれにしましても日本の歴史に見え隠れするキリスト教。
景教はその後どうなってしまったのかが気になる今日この頃です。