歴史考察#140『天守閣は和洋折衷?!』
こんにちは、véritéです。
日本人は昔から外国の文化を上手に取り入れて発展してきたと言われていますね。
たとえば和柄と呼ばれる模様は、ササン朝ペルシャがルーツだったり、
漢字は、古代中国の黄河文明で発祥した表記文字だったり、
仏教は、古代インドの王国マガダ国に興った宗教だったり。
日本人はそれらを独自の文化に変えてしまうのが得意ですよね。
日本と西洋の様式を程よく取り混ぜた「和洋折衷」の建築はよい例ですね。
京都五条に建つ「五龍閣」、京都亀岡に建つ「旧田中源太郎邸」
そして滋賀近江八幡に建つ「旧伊達家住宅」等々…
先日古本市で「よみがえる明治の東京」という本を購入したのですが、「和洋折衷建築」の頂点とも思えるすごい建築物に遭遇しました✨
それは...
第一国立銀行です!!
「第一国立銀行」は、1873(明治6)年に設立された最初の国立銀行です。
私はこちらの写真を二度見してしまいました!!
遠目から見ますと、天守閣のあるお城に見えませんか?!
ここから思うことは、ひょっとしたら天守閣は、和洋折衷の意匠が発展したデザインだったのでは?!
ちなみに、こちらの和洋折衷の意匠は、当時の人々の注目を集め、神社と間違えて“さい銭”を供える見物人も多かったとありました^^
いずれにしましても、日本文化のルーツは興味深いですね。
そしてなんでも独自のものに変えてしまう器用な日本人もとても興味深いと再認識する今日この頃です。
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