お城にはたくさんの赤煉瓦建築物があった⁈
「ヴォーリズ建築」を観に「大阪医科薬科大学」へ出向きました。
「大阪医科薬科大学」は大阪・高槻にあります。
目的の建築物は、1930年に竣工の「歴史資料館」
イスラム様式のアーチやアラベスクが美しい✨
早速、資料館へ入ってみました。
すると...
資料館には誰もおらず、しかも資料は何ひとつ展示されていなかったんです💦
...ということで、愕然としながらも、そこから徒歩圏内の「高槻城跡」へ向かいました。
「高槻城」は、1573年(天正元年)にキリシタン大名高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築いたことで知られていますね。
お城の復元はありませんが、跡地は公園などになり、見事な石塀や、巨石は見て取れました。(ソテツも^^)
特筆すべきは「工兵第四聯隊跡」があったことです。
このことから、このエリアが陸軍「工兵」の拠点であったことを知りました。
ちなみに「工兵」とは、陸軍における戦闘支援兵科の一種で、歩兵、砲兵、騎兵に並ぶ四大兵科の一つだそうです。
そしてそこには、電話ボックスほどの大きさのコンクリートで覆われた建物がありました。
調べてみますと、それは「歩哨舎(ほしょうしゃ)」(警備する兵士が駐在する拠点 )であることがわかりました。
そんなわけで、このエリアにはどんな建築物があったのか調べてみますと、いくつかの大きな建築物があったことがわかりました。
しかしモノクロのため、建物の詳細はわからなかったのですが、偶然目に留まった「陸上自衛隊宇治駐屯地」の赤煉瓦の建物を見てハッとしました。
モノクロの画像の建物と似てるんですよね。
つまりこのエリアには、たくさんの「赤煉瓦の建築物」があったのではないでしょうか⁈
そこで思い出されるのは大阪城です。
大阪城内にも宇治駐屯地にあるような赤煉瓦の建築物があったんですよね。
...というより、戦前は赤煉瓦建築物が日本中に溢れていたのではないでしょうか⁈
いずれにしましても、こうした遺構を目にしますと、先人への想いと同時に、「平和」であることの幸せと、今、こうして安全に過ごせるありがたさを改めて感じました。
I hope that you will have a smile forever.
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