
歴史考察#113『南部鉄瓶のルーツは京都にあった?!』
先日、京都駅構内にあるカフェに入ったところ、素敵な急須に遭遇しました。

それはどっしりとした安定感と蓋が美しい焼き物になっている「鉄瓶急須」でした✨
これはどこの商品なのか?
詳細を調べたところ、京都市内の老舗が出しているオリジナル「鉄瓶急須」であることがわかりました。
鉄瓶といって思い出すのは、母の実家のいろりです。
そこには年季の入った鉄瓶がかかっていました。
そんな鉄瓶はどのように生まれたのでしょうか?
鉄瓶といえば岩手の南部鉄器が有名ですね。
南部鉄器は、岩手県盛岡市、奥州市の代表的な工芸品。
その歴史は古く、17世紀中頃、南部藩主が京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが始まりといわれます。
盛岡や奥州では、良質な原材料に恵まれたことや、南部藩が保護育成に努め、各地より多くの鋳物師、釜師を召抱えたことで発展を遂げたと言われています。
特筆すべきは、そしてこうした鋳物師(いものし)は「歩き筋」と呼ばれ、必要に応じて地域を転々していたということです。
それは酒造りの杜氏(とうじ)に似てますね。
またこうした職人技術は、いずれも大陸からやってきたとも...
鉄瓶のよさはなんといっても、鉄瓶でお湯を沸かすと、カルキ臭を抜いて水をまろやかにしてくれることです。
また、鉄肌と水が触れることによって、溶けだした鉄イオンを摂取することができ、鉄分不足を補うことができること。
しかし、鉄瓶はひとつひとつが職人による手づくりのためけっして安くはありません。
また、鉄なので錆びないように日頃の手入れも必要です。
しかし、使いこむほどに良い味が出てきて丈夫で何十年と長持ちするところも大きな魅力で、近年では、スタイリッシュなデザインの鉄急須が製作されることで、ヨーロッパや中国で人気となっているようです。
ちなみに鉄は選別が容易であり、リサイクルしても品質があまり低下しないため、 「何度でも何にでも」生まれ変わることができるリサイクルに最適な素材というのもすばらしい✨
ということで、長い目で見ればとてもサステナブルで美しい鉄製品を上手に生活に取り入れていきたいものですね。