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原子力の歴史#01

こんにちは、véritéです。
私は、福島で発生した原発事故により福島から西へ避難移住しました。

このことから、原子力や発電について調べてきましたが、そもそも原子力の歴史はどうだったのかを紐解き時系列にしてみました。

1895年(明治28)エックス線の発見

ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは、写真乾板を感光させ、蛍光物質を光らせ、物質を突き抜ける光のようなものが放電管の電極から出ていることを発見。
正体は未解明であることから、この光のようなものを「未知のもの」という意味でエックス線と名づけた。

1896年(明治29)新たな放射性物質の発見

仏の物理学者アンリ・ベクレルが、ウラン化合物から放射線が出ていることを発見。
この研究を引き継いだ物理学者マリー・キュリーは、夫の化学者ピエール・キュリーとともにウラン鉱物から放射性物質を分離する実験に取り組み、ポロニウムとラジウムという新たな放射性物質を発見。

1938年(昭和13)核分裂の発見

ドイツの化学者オットー・ハーンとオーストリア出身の女性物理学者リーゼ・マイトナーは、中性子をあてたウランから放射性のバリウムが生成されることを発見し、マイトナーは、ウランの原子核が中性子を吸収してほぼ同じ大きさの二つの原子核に割れたと結論づけた。

1939年(昭和14)第二次世界大戦勃発

ドイツ軍によるポーランド侵攻が発端となり第二次世界大戦が勃発。
ドイツ・イタリア・日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、英国・フランス・中華民国・米国・ソ連などを中心とする連合国陣営との間で戦われた。

1942年(昭和17)核分裂連鎖反応の実証

米国シカゴ大学のエンリコ・フェルミが、実験炉で原子力発電の原理となる核分裂の連鎖反応を行うことに成功。
※この原子炉の建設は、フットボール競技場の観客席下で極秘裏に進められた。

1945年(昭和20)マンハッタン計画

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツなどの一部枢軸国の原子爆弾開発に焦った米国、英国、カナダが原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員し、原子爆弾が製造され、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施。

1945年(昭和20)原子爆弾の投下

米国大統領に就任したハリー・トルーマンは米軍に新兵器で日本を攻撃するよう命令。
8月6日広島・8月9日長崎に投下、合計数十万人が犠牲となり、戦後の核兵器開発・核実験競争の冷戦構造を生み出すきっかけともなった。

1949年(昭和24)ソ連・カザフスタンで原爆実験

ソ連初の原子爆弾「RDS-1」の実験が、今のカザフスタンのセミパラチンスク核実験場で行われた。
プロジェクトを指揮したのは物理学者イーゴリ・クルチャトフ。ソ連初の原子爆弾の「父」であり、世界初の民用原子力発電所の創設者でもある。

1951年(昭和26)米国はネバダ核実験場を開設

第二次世界大戦後の冷戦の中、米国は唯一の核兵器所有国となり軍事的優位を占めていたが、1949年にソ連が核実験を成功させ、米国の優位が揺らぐことに。
そこで米国は、より大規模な核兵器の開発研究を急ぎ、ネバダ核実験場を開設し、原子爆弾の爆発実験を繰り返した。

1953年(昭和28)原子力平和利用の推進

米国は1953年〜1954年にかけて、原子力の軍事利用と並行して平和利用も推進する方針を打ち出した。
米国大統領アイゼンハワーは、国連総会で原子力平和利用の推進をよびかける「平和のための原子力」(Atoms for Peace)を演説。

1954年(昭和29)米国・ビキニ環礁で原爆実験

米国は太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で水爆実験を実施。
この実験により、約160キロメートル離れたところにいたマグロ漁船の第五福竜丸が死の灰(大量の放射能を含んだサンゴ礁の細かいチリ)を浴び、乗組員23人が被ばく。

1955年(昭和30)広島で原水爆禁止世界大会

米国によるビキニ環礁の水爆実験による被害は、世界に大きな衝撃を与えた。
そこからラッセル・アインシュタイン宣言が発表され、核兵器廃絶運動が世界的に広がることとなった。

1964年(昭和39)中国が核実験を実施

中国は新疆ウイグル自治区のロプノール湖にて初の核実験を実施し、1967年6月17日には初の水爆実験を行いアジア初の核保有国となった。

1979年(昭和54)チャイナ・シンドローム公開

原発の取材中に事故に遭遇し真実を伝えようとする女性リポーター、ずさんな管理の実態に気づき事故を防ぐために命を懸ける原発管理者、不祥事を揉み消そうとする利益優先の経営者といった人物たちの対立を描いた米国映画が公開された。

1979年(昭和54)スリーマイル島原発事故

1979年3月28日、米国ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で事故が発生。
蒸気発生器に冷却水を送り込む主給水ポンプの停止により、機器の故障や誤操作が重なり、原子炉内の冷却水が減少し、炉心の上部が蒸気中に露出し、燃料の損傷や一部の構造物の溶融が起こった。
国際原子力事象評価尺度(INES)ではレベル5。

1986年(昭和61)チェルノブイリ原発事故

1986年4月26日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で事故が発生。
タービン発電機の慣性回転実験中、設計上の欠陥と操作ミスが重なり原子炉の出力が急上昇し暴走、爆発し原子炉建屋を吹き飛ばした。
国際原子力事象評価尺度(INES)では最高レベル7。

1996年(平成8)包括的核実験禁止条約

包括的核実験禁止条約は1996年に採択され、署名のために開放された。
条約はいかなる場所、いかなる人によっても、いかなる時においてもすべての核爆発を禁止している。
条約の発効に批准が必要な核技術保有44カ国のうち、8カ国がまだ批准していない。

2011年(平成23)福島第一原発事故

2011年3月11日、福島県の東京電力福島第一原子力発電所で事故が発生。
原発は、地震により外部電源が失われ、その後津波により全電源が喪失。
原子炉3基で冷却機能が失われ、炉心が溶け出し(メルトダウン)、1号機、3号機、4号機が爆発し大量の放射性物質が放出。
国際原子力事象評価尺度(INES)では最高レベルの7。

2024年(令和6)世界の原子炉数

2024年1月現在運転中の世界の原子炉数は433基
①アメリカ93基②フランス56基③中国55基④ロシア34基⑤日本33基
⑥韓国25基⑦インド23基⑧カナダ19基⑨ウクライナ15基⑩イギリス9基

原子力は平和のために使われているのでしょうか?
願わくは、次のページにはhappyなことが綴られますように...✨


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