歴史考察 #96『京都の路地にはポルトガル文化の痕跡があった?!』
四条河原町駅から四条通を八阪神社方面に歩いていくと、左手にぽっかりと口を開けた狭い路地があります。
そこは、千鳥マークの提灯が揺れる『先斗町(ぽんとちょう)』
先斗町(ぽんとちょう)は、京都を代表する花街の1つです。
花街(はなまち)とは、芸者屋、遊女屋が集まっている地域を指す名称で、(六花街:上七軒、祇園甲部、先斗町、祇園東、嶋原、宮川町)
先斗町は、すれ違う傘が傾き合う程の狭い路地が続き、沢山の飲食店がひしめき合っています。
そんな路地を少し歩いていきますと、突然目の前に巨大な煉瓦の建築物が現れます!
このクラシカルな建物は『先斗町歌舞練場(ぽんとちょうかぶれんじょう)』という稽古場兼コンサートホールでした。
『先斗町歌舞練場』は大正14年(1925年)に着工、昭和2年(1927年)に完成。
設計は 大阪松竹座を設計した劇場建築の名手と謳われる大林組の木村得三郎。
鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階で、当時は『東洋趣味を加味した近代建築』と賞賛され、歌舞練場の屋根には中国の舞楽面を型取った鬼瓦が守り神として据えてあります。
こちらでは、普段なかなかお目にかかれない芸妓さんや舞妓さんの踊りをライブで楽しむことができるようです。
ここで特筆すべきは、『先斗町歌舞練場』の鉄の扉です‼︎
そこに『十字のデザイン』が見てとれます✨
ちなみに、先斗町という地名の由来は複数ありますが、『先端』を意味するポルトガル語の『ポント』に由来するとした通説のほか、『ポルトガル伝来のカルタ賭博の用語が由来』という説もあるようです。
※井原西鶴『本朝二十不孝』の『先斗に置いて来多男』
そういえば、ホールの近くには、地下へと続く煉瓦塀がありました!
それは『カルタ賭博の用語説』の裏付けにも?!
いずれにしましても京都の路地巡りは小さな発見もあってなかなかおもしろかったです。
さて次回はどこの路地を歩こうか?
楽しみがまたひとつ増えました…✨