歴史考察 #99『山に神殿をつくるのは教訓と浸水回避?!』
清水寺へと続く五条坂を歩いていきますと、目の前に美しい煉瓦の煙突が見えました!
煉瓦の煙突は伏見の酒蔵以来です。
この煙突はなんだろうと検索をしてみたところ、レトロな煉瓦の窯が出てきました!!
それは京都市内に現存する最大級の『登り窯』跡でした!!
『登り窯』とは、陶磁器等を大量に焼成するための窯の形態で、
傾斜地を利用し、『火袋(最下部の薪を入れて燃やす燃焼室)』から焼成室となる『1の間』から『6の間』へと繋がった燃成室を上段へ設けた連房式の窯のことだそうです。
ちなみにこのエリアでは、清水焼のほか、粟田焼、八坂焼、音羽焼(五条坂焼)、修学院焼、 御菩薩池焼などがあったようです。
そしてこれらの焼き物がこのエリアに集中したのは、『大阪層群』が広範囲に分布していることがあげられていました。
『大阪層群』とは、大阪平野、京都盆地、奈良盆地、播磨平野、尼崎、西宮、明石、淡路島などを含めた丘陵一帯です。
そしてこの『大阪層群』には複数の粘土層が含まれているため、焼き物に適した粘土が取れたと考えられています。
ちなみに京都盆地はかつて大きな湖だったと言われています。
(なぜ湖になったのかも気になりますが...)
そこにいくつか小さな島がありましたが、そのひとつ『稲荷島』が現在、伏見稲荷大社のある『稲荷山』です。
京都・稲荷山の山頂には鳥居があります。
なぜ山頂に鳥居があるのか?
『鳥居』の語源は、マルタ島で発見された『人類最古の石造建築物』である『神殿遺跡』の呼称『Torri』からきているのではないかと考察しています。
そしてこの『マルタ』という地名は、『フェニキア語』の『メリタ(避難所、港)』が転訛したものといわれています。
さらには、ペルーのマチュピチュ神殿遺跡も標高2400メートルという高所に作られていることから、山に神殿を建てることの理由は、神(=太陽)に近い場所であると同時に、過去における大洪水の教訓と浸水被害への回避もあるのではないでしょうか?
ちなみに、稲荷山の中腹には、巨石を使った石垣の上に家が建てられているのですが、それらもまた同様の意味もあるのかもしれませんね。
そもそもお城もまた高い石垣の上に建築していますよね。
みなさんは『津波てんでんこ』の教訓を覚えていますか?
『津波てんでんこ』とは、「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味。
明日は阪神淡路大震災から28年目。
先人が遺した教訓を次世代へもしっかりと伝え続けたいものですね。
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