歴史考察#126『すべてが洋風な16世紀の九州』
こんにちは、véritéです。
こちらは「泰西風俗図屏風(たいせいふうぞくずびょうぶ)」と呼ばれるものです。
こちらの絵は、古い時代のヨーロッパの山間で、平和に暮らす西洋人の姿に見えますよね。
こちらは日本人が屏風に描いた絵で、「泰西」とはヨーロッパをさし、作者は不明。
こうした絵は1580年(天正八年)、島原半島の有馬において「セミナリオ」が創立されて以来、洋風画の骨子に則り、イエズス会がキリスト教の普及を目的として制作させたとあります。
では、こうした屏風絵をいくつか見てみましょう。
▶洋人奏楽図屏風
ハープのような楽器、そして遠くに音楽堂が見えます。
▶泰西風俗図屏風
入り江に建つ洋風の建築物、樹木のないグレーの山々
▶泰西風俗図屏風
大岩の間から流れる滝、その奥には三角屋根の洋風の家
▶泰西風俗図屏風
入り江に建つ洋風建築物と羊の群れ
▶泰西風俗図屏風
樹木のない低い山々、中央に見える白壁の洋風の家
▶泰西風俗図屏風
帽子を被りブーツを履く人々、大きな岩だらけの道
「泰西風俗図」=「ヨーロッパの風俗図」ということになりますが、日本人が日本で描いたのであれば、「近隣の風景(=島が沢山見える島原半島あたり)を描いた」とするほうが自然に思えます。
また、モンタヌス(1625年 - 1683年)が描いた「九州人」の服装にも似ていることを考えますと、描かれているのは、九州地方とそこに住んでいる人の姿なのではないかと…
いずれにしましても、こうした絵画はとても興味深いですね。
当時の九州はどうだったのか?
日本はどうだったのか?
あれこれ妄想が広がります✨
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