歴史考察 #104『日本全国にあった音楽堂という名の建築物』
探し物をしていたら偶然遭遇した『東京大正博覧会』の『音楽堂』
あまりにも美しいデザインにしばし見入ってしまいました。
※『東京大正博覧会』は、1914年(大正3年)東京上野公園を主な会場として開催された博覧会/入場者数はおよそ750万人)
美しい『音楽堂』のデザイン✨
しかし、ほかでも見たことがあるなぁと...
早速『戦前』『音楽堂』で検索をかけてみました。
すると次々と出てきました!!
まずは日比谷の音楽堂。
1905年(明治38年)、日本初の野外音楽堂として完成。
関東大震災で倒壊後再築され、1983年(昭和58年)に改築され現在に至る。
名古屋の音楽堂。
鶴舞公園(つるまこうえん)にある『奏楽堂(そうがくどう)』
1910年(明治43年)、『第10回関西府県連合共進会』に合わせて建設され現存!!
群馬の音楽堂。
1910年(明治43年)、群馬で開催された『一府十四県連合共進会』の博覧会会場のひとつ。
福岡の音楽堂。
1910年(明治43年)、福岡で開催された『九州沖縄八県連合共進会 』の博覧会会場のひとつ。
富山の音楽堂。
1913年(大正2年)、富山で開催された『一府八県聯合共進会』の博覧会会場のひとつ。
札幌の音楽堂。
1918年(大正7年)、北海道開道50年を記念して建造。
大正から昭和にかけて使用されたものの、公園改造の中で消えてしまったもよう。
大分の音楽堂。
1921年(大正10年)、大分で開催された『九州沖縄八県連合共進会 』の博覧会会場のひとつ。
大阪中之島の音楽堂。
1924年(大正13年)、武田五一設計。
現在こちらの建築物はシンプルなものに建て替えられたもよう。
岡山の音楽堂。
1928年(昭和3年)、岡山で開催された『市政施行四十周年記念事業』の博覧会会場のひとつ。
博覧会は練兵場、東山公園、鹿田駅跡において行われた。
さらには韓国や中国にも似たような音楽堂がありました!!
朝鮮の音楽堂。
1915年(大正4年)、朝鮮京城パコタ公園で開催された『朝鮮物産共進会』の博覧会会場のひとつ。
中国大連の音楽堂。
1909年(明治42年)に設けられた大型の複合的娯楽施設『電気遊園地』内のひとつの建築物。
同公園は終戦後、公園、動物園などに転用後、取り壊された。
いずれもとてもよく似た形をしていますね。
これらのデザインが『音楽堂』として究極の形なのでしょうか?
これらの『音楽堂』で音楽を聴いてみたいですよね。
しかし、そんな『音楽堂』はじめ、洋館のほとんどが地震や火災、戦争、取り壊し等で無くなってしまったことはとても残念です。
独唱からオーケストラまで、耳から入った音楽は、脳へと伝わり、全身に影響を及ぼすと言われています。
美しい音楽はもとより、こうした美しい建築物もまた、ひとつでも多く次世代へと残していきたいものですね。
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