歴史考察 #165『お釈迦様も観音様も人魚だった?!』
こんにちは、véritéです。
木魚のルーツを調べる中、「和漢三才図会」の存在を知りました。
「和漢三才図会」とは、大坂の医師である寺島良安により江戸時代中期(1712年/正徳2年成立)に編纂された日本の類書(百科事典)で、明の王圻による類書「三才図会」を範とし、約30年余りかけて編纂されたといわれます。
全体を天文、人倫から草木まで96類に分け、和漢の事物を収容し、平易な漢文で各事物に簡明な説明と図を入れています。
各事項は、広く国内を旅行して実地踏査し、種類、製法、用途、薬効などを明記し、客観的、合理的な解説を施し、図解は分析的。
その明解、正確さによって発行から約200年間、明治時代に至るまで広く実用されたそうです。
あまたの興味深い内容中でもっとも気になったのは「外夷人物」です。
2年前、大阪の南蛮文化館を訪れた際、江戸期の世界の人種の中に、巨人や小人が描かれていたことに衝撃を受けたものでしたが、こちらの「和漢三才図会」にも巨人(長人)や手長人(長臂)はじめ小人、足が長い人(長脚)、脛(すね)が交差してる人(交脛)、耳たぶの長い人(聶耳)、お腹のない人(無腹)、一つ目の人(一目)、三つの顔を持つ人(三首)、長い乳房をもつ人(野人)、そして、下半身が魚の人(氐人)などが描かれ、
さらには、魚のカテゴリーには「人魚」が!!
説明には「人魚は魚の体で人の顔を持つ者です。」と述べられ、「推古天皇二十七年(619年)、摂津国(現在の大阪府と兵庫県の一部)堀江で、妙な者が網に掛かりました。姿は子供のようですが、魚でもなく、人でもなく、何という名前の生き物か誰も分からなかった」と。
さらに「今でも時々西海大洋でこのような者が網に掛かります。顔は女性のようですが、体は魚で粗いウロコで覆われて、浅黒色で、鯉に似ていてシッポが二つに分かれています。手のような二つのヒレには水掻きがついており、足はありません。」
そして「暴風雨が来そうな時に現れます。漁師は網に掛かっても気持ち悪がって誰も捕まえません。オランダでは人魚の骨を「ベイシムレ」と名付けて毒消しの薬にします。よく効くそうです。」とも...
これらはオカルトやおとぎ話としては伝えられていますが、ひょっとすると、江戸時代には本当に存在していたのかも?!
あ!ここで思い出しました!
モンタヌスの観音像!観音像の下半身が魚...!!!
お釈迦さまが魚の王として生まれていた時があったということからすると、ひょっとして観音様もお釈迦様も人魚だった?!
いずれにしましても「和漢三才図会」はなかなか興味深いです✨