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歴史考察#128『明治の洋館は江戸時代の大名屋敷だった?!』
こんにちは、véritéです。
1871(明治4)年の廃藩置県により、1873(明治6)年1月14日に「廃城令」が公布されると、明治維新により「陸軍省所管財産」となっていた「城」の土地や建物を「存城処分」か「廃城処分」に分けられ、「存城処分」は「陸軍省所管の行政財産」となり、「廃城処分」は「大蔵省所管の普通財産」にして「売却処分」となったことがわかりました。
「廃城令」という名称から、対象となったのは「天守閣のあるお城」を思い浮かべますが、「大名屋敷」なども含まれていたようです。
では、そうした大名屋敷跡はその後どうなったのでしょうか?
■肥前島原藩松平家中屋敷「跡」には「慶応大学三田キャンパス」
■加賀金沢藩前田家上屋敷「跡」には「東京大学本郷キャンパス」
■筑前福岡藩黒田家上屋敷「跡」には「旧外務省」
■鳥取藩池田家上屋敷「跡」には「旧帝国劇場」
■陸奥白河藩阿部家上屋敷「跡」には「旧帝国ホテル」
■紀伊和歌山藩徳川家屋敷「跡」には「赤坂プリンスホテル」
■小倉藩小笠原家屋敷「跡」には「旧読売新聞社」
■紀伊和歌山藩紀伊徳川家中屋敷「跡」には「迎賓館」
■薩摩藩島津家上屋敷「跡」にはあの「鹿鳴館」
いずれの跡地にもすべて美しいデザインの洋館ばかり✨
…ということから、
明治に続々造られたという洋館は「江戸時代の大名屋敷を改装・改修した」とするほうがとても自然に思えました^^
みなさんはどう感じますでしょうか?