見出し画像

私にその魔法は使えない

こんばんは。
秋の連続投稿最後のnote。
テーマは、#note感想文 です。


読んだnoteについて

今回読んだnoteはこちら。

このnoteは『忘れえぬ魔女の物語』というお話を作者自ら考察したというものです。

私は漫画で話を読んだので、こちらも貼っておきます。

物語の内容に触れるものなので、できたら先にお話を読んでからこのnoteとこれから書く私のnoteを読むことをおすすめします。
どうしても物語の設定には触れないといけないので…。

ネタバレしてもいいよという方は先に進んでください。


感想1 私たちと変わらない

この物語の大きな魅力は、主人公の綾香が繰り返す時の中を生きていること。
平均5回繰り返し(同じ日付の1日を5回繰り返す)の中から、1日だけが採用されるという設定である。
物語を読んでいるときから、この繰り返しの舞台設定は面白いと思っていた。

その繰り返しが何も物語に限られた話ではないということが、このnoteから得られたひとつの気づきである。

そう考えると、時間の進みというものはカレンダーや時計と多くの人の思い込みによって成り立っていると言ってもいいと思えてくる。

時計や世間の反応があるから、時は進んでいると思っているが、そういったものがなくなってしまえば、1秒の知覚すら難しい。



読んだnoteの主張も、私なりに要約すれば、「死んだら未来は知覚できないよね」というものだった。
この主観の認知が作品で伝えたいこと、筆者の主張なのかなと私は思った。

感想2 生命体はなぜ眠るのか

このnoteを読んでいたら、崩壊スターレイルのピノコニーのストーリーのキーワードになっている「生命体はなぜ眠るのか」という問いを思い出した。
生命体という単語がnoteに出てくるからかもしれない。

ここでピノコニーのネタバレはできないので詳細は伏せるが、自分の認識と向き合うことと、強大なシステムが絡まり合うことで起こる難解さは、両者に共通しているなと思った。

感想3 コギトエルゴスム

noteに書かれていた「主観の上では己の死を認識できない」という考えは自分なりに理解したつもりだ。
それでも私は、思うところがあった。

一つは、物語の主観は私の主観にはなり得ないことだ。

登場人物に「私」を重ね合わせることはあるにしても、登場人物を完全に同一な存在として認識することはできないと私は思っている。

それはまるで、少し形が違って噛み合わないパズルのピースを無理やりつなげているかのような感覚。

確かなものは己の主観のみという考えは正しいと思う。
しかし、それを表現する手段はその人の主観であり、その文字は客観的なものでしかない。

言葉は私のものだが、私だけのものにすることはできないように、不死の魔法を私の魔法にすることはできないのだと思う。


もう一つは、自分の死は自分の主観では認知できないのか、ということだ。

肉体的な死に限って言えば、そうだと思う。
奇跡的に肉体的な死の状態から、生還する人はいるらしいが、ほとんどの人は一度死ねば二度と生き返らない。

しかし、精神的な死では主観的に己の死を知覚することがあると私は考える。
例えば、死の夢を見たり、絶望に囚われたり、九死一生の出来事が起こったり、人間には精神的に死ぬ可能性というものが存在している。死後どうなるかということは分からなくても、死の前にある畏怖の存在は確実にわかる。

だから、私に不死の魔法は使えない。
それは悲しいことだが、別に悲しむことではない。
今のところ不死は叶うものではないのだから。


主人公の綾香は完全記憶という能力を持っていた。
ゆる言語学ラジオで聞いた話(確か読書のコツを話している回)だが、人間は一般化するために忘却という過程が必要らしい。

忘却を持たなかった彼女は、一般化への手段がなく、極めて個人的な、現実的な、具体的な経験からでしか世界を見ることができなかったのかもしれない。
また彼女は夢を見ることもなかった。それは極めて主観な立場でしか世界を見れなかったことを意味する。
このことから、精神的な死を知覚する余地がなかったのだと考えられる。現実の観測者としての素質を持ちすぎていたがために、彼女は不死の魔法を使えていたのだと思う。

ただ彼女は最後に忘却を経験することで、死に1歩近づいたのだろう。
それは私たちと何も変わらぬ一人の少女のように映って、物語は終わる。

まとめ

最後に演習問題について考えてみたい。

私は漫画で読んでいたので、2が何を指すのかわからないが、あの物語が不死の魔導書をうたうのなら、続きは不死の再構築であってほしい。
それは、多くの人に届かなかった不死の魔法を届けるものかもしれないし、綾香が愛する人を救う手段ではなく、本当の意味での死と向き合うための不死の再構築なのかもしれない。
後者の場合は3が出ることはないのだろう。

最後に、私に物語を作る才はないし、哲学や物理学のこともわからないので、的外れなことを言っていたら申し訳ない。頑張って解釈してみたけれど、私には難しかったというのが正直な感想だ。
だから、個人の感想として受け止めてもらえるとありがたい。



感想は以上です。
思った以上に書くことが多くなりました。

秋の連続投稿のおかげで、ブックマークしていたこのnoteが読めてよかったです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

ヴェリ
最後まで読んでいただきありがとうございます🙇‍♀️

この記事が参加している募集