大学教員としての40年余(雑感)
ゴールデンウイークを楽しく過ごしたと思ったら、あっという間に7月になってしまった!このところかなり忙しくなって、雑感を書く時間もないまま、ようやく一息つくことができる週末になった。
福岡のある私立大学で共通教育のスペイン語と専門科目の言語学や南欧表象文化を教えているが、東京時代、博士課程の院生当時に運よくある短大で非常勤講師として教え始めたのが25歳のとき、専任教員として教えることになったのが32歳で、以来このヤクザな職業を満喫しての生活もまもなく定年となり、本当に幸せな人生を送ることができるという運の強さに心から感謝している。あの当時でさえ、大学院の修士課程や博士課程を修了していても、自分から他の進路を目指す場合を除いて、大学などでの教育・研究職に専任として終身雇用(最近は本当に減ったなあ!)で採用されるのはなかなか難しく、3人に1人は非常勤講師や任期付きの契約講師としての職しかなく、とくに文系では研究職に就くのを断念して、結局他に職を求めるものも少なくなかった。僕は教職(中学・高校)の教員免許などは持っていなかったので、中学・高校の教員になるという奥の手はとれなかったので、いざとなったら、知り合いのいる小さな専門書の出版社から誘われていたこともあり、35歳くらいになったら、そこにお世話になっていたかもしれない。現在でも状況は同じようなものだと思うが、昔に比べ任期制の職が圧倒的に増え、また入学生が定員割れして、経営が非常に厳しくなっている大学も多く、2030年問題を目前に控え倒産する大学も予想されるとあっては、有名な国公立大学や、経営のしっかりした受験生に人気のある私立大学に職を求めるにも、これは至難の業で、そういった大学で空きが生じたポストの公募には、数十名や下手すると100名以上も募集があるという現状である。
さて、いろいろ書きたいことがあるが、一番書きたいと思っているのは、大学をテーマパーク化するのは構わないけど、本当に学びたいと思っている意欲のある学生をないがしろにしていないかということである。
上記で書いた最初の非常勤講師の職を得たのち数年後最初の専任ポストを長崎のある公立大学に得て、その後今勤務している大学(以下本学)までを通算すると40年以上の教育歴を積んでいて、本学より偏差値が高いと言われる近在の国立大学や公立大学にも、ときどき非常勤講師として出講していたのだが(今も一か所出講している)、はっきりと感じることを書くと、「成績上位の学生については、出講していた大学と本学との差は余りないけど、下のほうの裾野(できない学生)は本学の方が遙か下のほうまで広がっている」、「どちらの大学でもその成績優秀な学生の学力でさえ段々(と言うかかなり)と落ちている」と感じている!
昔話で恐縮だが、僕は大学で卒業に関係する単位を164取得している。それでも、卒業要件(150)に対しては結構ぎりぎりで180以上なんていうのもざらにいて、僕も卒業に関係しない自由履修科目を16単位分履修していたので、その意味では180単位を取得していた。当時は、ほとんど通年科目で、必修の体育関係の科目(体育実技は2年間(4競技で4単位)、体育理論と保健教育(こんな名称だったと思う)も各4単位(通年)で必修!一般教育(今は共通教育と呼ぶ)も人文・社会・自然系列から各4単位が必修で合計36単位。おまけに専門外国語(スペイン語)と英語は単位換算が半分なので、外国語の必修合計が覚えでは36単位(なので、普通の講義科目だと72単位分)がベースにあって、そこに3年次からは副専攻科目(外国語学部共通の言語、文化、国際政治などに関する科目)が40単位選択必修で、あとはようやく専攻言語の専門科目の単位ということになる。
おまけに(今もあるかどうか不明だが)、通っていた大学には次のルールがあった。①2年間合計の取得単位が32単位未満、➁必修の同じ第1外国語科目の単位(各年度ごとに単位を取らないと進級できず自動的に留年)に2年続けて合格できない(単位が取れない)場合の、どちらか(または両方)に該当する場合は退学というものであった。とくに2年次から3年次への進級は、その外国語が日常的に使え、専門書が読めるレベルまでの能力が必要で、ここを通過できず、さらにもう一度続けて通過できないと退学なので、僕も2年次には第2外国語の英語と必修の体育関係の科目以外はほぼ捨てて、スペイン語の単位(12だったと思う)に絞って勉強し、確かその年度は30未満の取得だったと思う。もちろん、副業の競馬、お酒、アルバイト(彼女もいた)などはきちんとしながらで、かなりタイトな学生生活を送っていた。なので、翌年度(3年次)には2年で不足している分も含め52単位の科目を登録、翌4年次も44単位登録して、ほとんど取れているはずである。
僕は名古屋のあるスポーツだけ重視の底辺高校(中学から)を卒業している。おかげで自分が勉強したくない科目は、本当に勉強しなくても(定期試験は超易しく、適当に成績を付けてくれた)卒業できたため。自分の好きな科目だけやっていればよかった。(もちろん全然勉強しない奴が圧倒的に多かった)なので、中学の時から英語、高校に入ってからは漢文だけそれに加わり、本当にそれ以外の科目は定期試験前に出る問題がヒントで分かっていて、それを確認するために教科書を読む程度であった。とにかく、好き放題の中学・高校生活だったが、ついに高校3年になって、恐怖の受験勉強の1年間が待っていたのであった。
この間(受験)の事情は次の雑文にも書いてあるので、そちらを読んでもらうことにしたい!
また、英語だけを勉強したきっかけを少しだけ書いておこう。
なにしろ、スポーツだけやっていればよい連中の集まりの中学・高校のおかげで(僕は運動の部活はやらなかったので、ますます放課後の生活は好き放題)、勉強は本当に適当。おかげで小学校(ここで勉強できなかったので私立の底辺校に入学させられた)・中学校の義務教育の基本的知識がいくつかが欠如していて、地図記号は全くダメ、日本史も全然ダメ、などなど。過日、テレビのクイズ番組の地理の問題にさらさら答える中学生の長男に内心恥ずかしい思いをしていた。ただし、中学1年の英語の、これは実名を挙げていいだろう、境賛三先生(のちに中京大学教授)のアパートに遊びに呼んでもらったのがきっかけだった!ラジオから流れる英語の放送(はっきりと覚えていないがFENだと思う)をすらすらと訳していくではないか。そんなことができるのかとの驚きとともに、ひょっとしたら英語は勉強しておいたほうがよいかもしれないと、生まれて初めて勉強しなくてはいう気持ちにさせられた瞬間であった。その後1年のときは学校と家で英語だけ勉強していたが、それではいけないと一念発起。2年になると英会話の教室(William Fairchildという退役軍人の個人教室)に週2回も通うと言う快挙に及ぶのだが、父の口からは「そんなことに月謝(週2回好きなだけ在室して月3000円だった)を払って、ものになるのか」という辛辣な言葉が!何とか親を説き伏せて、その後高校2年くらいまで通ったが、それ以外の勉強の塾などには一切行かなかった(受験勉強も)。もちろん英語以外の中学・高校(そのまま付属高校に進学)生活は好き放題で、学生運動、音楽活動、ギャンブル(中3くらいから仲間で賭け麻雀に夢中になっていたが、カードゲームや花札にサイコロも守備範囲だった)などなど。おまけに英語だけはできたおかげで、高校1年の終わりにはシアトルに留学するという幸せな人生。このまま楽しい人生を謳歌してと思っていたが、やっぱり「よく遊び、(ときどき)よく学び」では真剣に学んでいる連中には勝てなくて、受かるかもと思っていたAFSという留学の試験に落ちて、大学受験という悲惨な1年を過ごすことになったのである。
本当に(マークシートの指運で)運よく○○大学に入学してしまったが(大学名は想像つくと思う)、大学とは一杯遊んで、そのあとどこかの会社に就職して…などというところかなと朧気に思っていたら、さにあらず!最初の授業のスペイン語会話(実は○○大学ではイスパニア語と呼んでいた)で、テキストも買わずにのんびり出席すると、恩師の一人となる故エレサ先生がいきなり、前のほうの女子に意味不明の言葉で話しかける。あとでいわゆる「お元気ですか」というようなやりとりと分かるが、そのときは一体何をやっているのかとキョトンとしていると、女子たちが次々にきちんと答えているではないか!おまけにテキストも持っている!こいつら何なんだ!開講前から予習したのか!とんでもないところに来てしまったという自戒の念と、これは大変なことになった、こんな連中と一緒に学ぶのかという気持ちが交錯しての最初の授業になった!その後、登録予定の授業にあれこれ出席するも、英語と人文・社会科学系(政治学や哲学とか倫理学や西洋思想史あたり)の科目は何とか分かるが、それ以外の、とくに自然科学系の科目は難しいものばかり。しかしながら、その内容は(あくまでも僕の通っていた)高校の授業に比べると超はるかにレベルも高く、面白いものばかり。もちろん麻雀や酒、のちに競馬にも忙しい日々を送るのだが、情報科学、統計学、自然科学史、心理学、論理学、まだまだあれこれ、難しいけど面白い(受験勉強のとき、死ぬほど嫌で、さっぱり分からなかった数学もそれなりに役立つとは思ってもいなかった)、それに遊び相手にも不自由しないし、大学ってめちゃくちゃ楽しいところじゃないか!
というわけで、目覚めた僕はそれまでの「よく遊び、(ときどき)よく学び」という人生の指標を「よく学び、よく遊び」というように語順を入れ替え、本当に新鮮な大学の授業内容に感動の毎日を送るのであった。
さて、そろそろ本論に。
こんな風に目覚めた(かなり奇跡的に)僕を支えてくれた当時の大学の制度と現在の制度の差を考えると、いかに今の大学がダメになってしまったかが分かる。
箇条書きで書くと。
①卒業に必要な単位数がどんどん減らされて、4年次なんかはゼミの1コマ以外は何もとらなくてもよいことにもなる場合もかなりあり、その仕組みは就職活動のためとか言っているけど、それって大学教育の一貫ではあるけど、本質じゃないだろう。
②おまけに、1年間で履修できる単位の上限があるし、その上限がどんどん減らされているのはどういう根拠なんだろう!
③実験や特殊な(医学・薬学など)科目以外なら、講義科目で、担当教員の許可さえあれば他学部・他学科の科目を自由に履修してもよいと思うがそれもできなくなっている。(もちろん卒業要件の単位にはならない)
④これは大学によるが、履修者数が規程(5名や10名未満とするのが多い)を下回ると、その科目は特段の理由がない場合閉講になる。
⑤一般論だが、大学のおおらかさが段々失われている。
⑥これは大学だけじゃないが、日本に欧米の意味での完全週休二日制は不必要、その意味でハッピーマンデーなんてのも大学には不必要。祝日も多すぎる。
まだ、他にもあるかもしれないが、上から順番に今僕が抱いている不満を書いてみたい。
先ず、①から③について。
僕は自由選択科目(卒業単位にならない)を6科目(16単位)履修したが、多くは卒業単位に換算されない自由履修の外国語(フランス語やラテン語)のような科目などであったが、数学科の専門科目の数理論理学もそこに含まれていて、数学科の学生に混じって悪戦苦闘したのを覚えている。今、多くの大学や、本学で、仮に自由選択だとしても、これができるのだろうか。担当教員にお願いして、内緒で聴講することはできるかもしれないが、登録して単位が認定されるということは殆どないのではないかと思う。おまけに1年間で履修できる単位数に上限があるのはどういうことなんだろう(本学は44だったかな)!語学や体育系の単位数が2分の1換算になるとはいえ、1日3コマ程度で前期と後期5日間(月~金)埋めただけで、最大で60単位になってしまい履修できないことになるけど、それって学生に勉強するなと言っているようなもんじゃないのか!?
恐らく、大学をテーマパークと見做している学生は1年に60単位も登録するという暴挙には出ないと思うし、最近は登録した科目を放棄するとGPAとかいう評価が下がるため、確実に履修できる科目を登録するという理由もあるが、それでも勉強したい奴は、ほんの一握りでもいるのである。他大学ではどうなっているのかも、是非うかがいたいと思う。
さて、自分の大学の例で恐縮だが、僕は共通教育の外国語としてスペイン語を教えているが、本学では1年間で文法と会話のクラス(各1回で合計週2回)で、同じクラスを別々の先生が担当している。共通テキストはこの3年間、次を採用していて、各課の文法のパートが4頁、会話(アクティビティが多い)も4頁で、1つの課を2~3週でこなし、ペアーでテキスト全体を1年で終わるようにしている。
実は、これ以前には別の共通テキストを採用していて、内容が多く、学生には負担になるし、1年間で終わらない可能性が高くなったので、上記のテキストに変更したが、さらにその前は、もっと詳細なテキストを使用していて、これは「もう無理」となって、テキストを段々学生のレベルに合わせないといけなくなってきたのである。第2外国語のことが分かっている方なら、上に引用したテキストをご覧になれば、その内容は、動詞については現在形だけ、構文もロマンス語系に必要な接辞の代名詞と基本的な再帰動詞は含めるが、複文などはほとんど含めず、一方、日常の会話表現はなるべく多く入れるようにするというもので、その続きは2年生以上の選択科目となるが、履修する学生はごくわずかである。
しかしながら、過去30年を振り返ってみると、本当に優秀な学生がいて、ある意味それが教える側の支えにもなっていた。共通教育のスペイン語から始めて、語学留学で相当なレベルまで習得した学生、中にはDELE(詳しくはググって欲しい)という検定試験のsuperior(当時)や現在のB2に合格したもの、南米の大学に長期留学して学位を取ったもの、福大にはスペイン語に関連する学部や大学院がないので、他大学の専門学部に編入したもの、他大学でスペイン語関係の専門科目が専攻できる大学院に進学したものなど、ほんのわずかであるが、教える側の励みになっていた。なので、テキストのレベルは最近になって易しくしているが、今でもついてこれる学生がいる場合は、そのレベル以下に授業内容を下げることはしない。もちろん、ついてこれなくなる学生がいるのも事実で、そういった学生をどうするかも悩みであるが、やはりこの数年ますますついてこれない学生の比率が増えてきたなあというのが正直な感想である。この意味で、一般論であるが、ネイティブの英語の先生は、できない学生にレベルを下げ過ぎる傾向があるようだ。本学では英語のクラスはある程度の実力別編成にしているけど、それでもできる学生が退屈しているという声をよく聞く。
スペイン語について、今までの30年余を振り返ってみると、次のようにまとめられる。
ー 優秀な学生には(段々減っているが)2年間で最後まで(文法なら業界用語で接続法まで)きちんとついてこられるものがいる → そういう学生の面倒を見てあげたい。
― 昔は授業回数は半期12回で、パワポもPDFもない時代に、テキストにカセットテープと板書だけで教えていたが、今は半期で15回も授業があり、パワポやPDFにノートパソコンからの映像や音声の提示という悪魔の手先に、学生のためにと思い手を染めてしまったが、進度は前より進まないし、学生のレベルは段々下がっている。
そこで④の点について、これ何とかならんのか!時間割表あるのに、受講希望者がいるのに、開講しない(本学は10名未満)という事実を、学生の親が知ったら、どう思うだろうか。経済効率に走るお金儲け(経費の節減)と思われても仕方ないし、受講したい学生にとって本当に可哀そうだ!過去に、10名未満のクラスを担当したのは、多分6~7回くらいだと思う(ある年度からは自動的に閉講なので最近はなし)。ただし、受講生なしで閉講になったことが、前任校で1回だけあったが、本学ではない。5名未満は多分3回で、その中の受講生の一人がスペインに留学したし、その中の4人の卒業生(女子2名、男子2名)とは、今でも付き合いがあり、ときどきメールをやりとりしたり、飲みに行ったりもしているが、10名以上のクラスで、ずっと付き合いのある卒業生は全体数からみるとごく低い比率で、今ちょっと考えてみると、2名程度だと思う。
さて、上記まとめの原因は?次の論点である。⑤~⑥について。
完全週休二日制は、働き方改革ということからは素晴らしい制度であり、しっかりと守っていかなければいけないと思うが、学校教育において、所謂「ゆとり教育」がよかったかには本当に議論があり、これは専門家の領域なので、軽率に結論を出す気はないが、じわじわと続く学生の学力低下がはっきりと感じられるようになったのは、1990年過ぎ生まれ(ゆとり教育の完成形)が大学生になった頃(平成20年あたり)からだと思う。もちろん、少子化の影響で大学自体の偏差値が降下傾向(成績が悪くても入り易い大学)になったのも否定できないし、その後、国は脱ゆとり教育などという「いかさま」擬きの制度で取り繕ったが、少子化ともあいまり、まさに遅かりし由良之助だった!顕著なのは、やはり国語力(文章力)であり、それが下降すると同時に学生の学力は極端に下がっていった。おまけに、どういう授業をするかということについては、シラバスなどという縛りにきゅうきゅうさせられて、最初に決めた授業計画をしっかりと守るようにとのお達しであるが、建築現場と同じで、計画通りきちっと物事が進まないほうが当たり前である。ゆとった学生を作り出した責任がどこになるのかは不問にしよう。⑤に述べたように「おおらかな大学に戻そう」。別に適当に講義をするというわけではなく、教えているうちに脱線して、そちらのほうが面白いので、話が長くなって予定変更したり、ある概念(用語)に理解が得られていないと思って説明が長くなったり、そこで考えさせたり、おおらかにやれるようにしよう!恩師の一人であった、故太田朗先生(英語学、文法理論)の授業の一つでは、英語で書かれた論文を読みまわしていくものだったが、1年間でどこまで進めるかは、我々学生の能力(要旨をまとめて発表する)に懸っていて、下手な発表で進まないと、当然先生の機嫌が悪くなり、緊張が走ったものだった。また、日本語学の権威であり、テレビCM(ワープロ)や歌番組でのテレビ出演の走りだった故金田一春彦先生は、ある授業で、「今日は雑談でも」と始め、何故テレビに出て稼いでいるのかを、彼の父京介(辞書で有名)がいかにお金に無頓着で家族みんな苦労させられたというところから、最後には学問にお金は必要だという内容で、1時間潰したことがあったが、この話は、今後若い研究者としてどう歩んでいくかに大きな道標を与えてくれた。
最後に、学校教育法では、土曜を休みにするかどうかは私立校の場合勝手に決めてよいことになっているが、ほとんどの私立大学は土曜を休業にしている。しかし、ハッピーマンデーなどというおかしなシステムのおかげで、土曜を休業にしているのに、ある曜日の授業が土曜や別の曜日の祝日に組まれたりして、学年暦が歪められている!
僕はスペイン語の時間に、曜日の単語を説明するとき、lunes(月曜日)はLuna(月)、以下martesはMarte(火星)、miércolesはMercurio(水星)、juevesはJúpiter(木星)viernesはVenus(金星)、じゃあsábadoはSaturno(土星)じゃなくてshabat(sabbatとも書き安息日のこと)でdomingoはSol(太陽)じゃなくてdies dominicus(主の日)なので、土曜が休みで、日曜は宗教の日で休みじゃないんだよ、なんて話している。いつの間にやら、そんな宗教的な意味を含む週休二日を日本は押し付けられてしまい(働き過ぎの日本人に対するユダヤ人の策略とは言わないが)、じゃあ、みんな教会に行っているのか言えば、本当にごくわずかの人だけで、喜んでいるのは塾や予備校だけである。
統計(最近のは調べていないが、2017年あたり)では、脱ゆとり教育で授業をしている私立中学・高校はかなり増えているが、公立高校ではまだ少ないそうだし、土曜に塾に通う小・中・高生は他の曜日に塾に通う比率も含め増加傾向にあるそうだ!
では、大学はどうか?
学生にとってアルバイトの時間が増えたということになっているだけだし、確かに生活のために必要なら仕方ないし、たまに土曜に授業や補講(休講の補習)を実施すると出席率が極端に悪いのは事実である。
また、昔話で恐縮だが、僕の大学生時代、土曜の午後が必修のゼミだったのは今でも忘れられない。午後1時半から90分2コマ続けて、終わると5時近くであったが、Y先生の意向(というか気分)で終了時刻を大幅に過ぎることもあった。実は僕の卒論の主査でもあったので、手を抜けないし、本当に鍛えられた。
コロナで状況が少し変わったところもあるが、アメリカ(スペインでも)の多くの(とくに有名な)大学は24時間営業である。図書館と学習スペースにカフェテリアは24時間開いている。我々教員は裁量労働制であるが、事務職員の週40時間という労働時間と休日は守らないといけないけど、そこはアルバイト雇用や正職員の勤務時間を工夫して、是非そのような大学にしたい。と同時に、1日に5コマ(90分×5)なんて時間割を止めて、土曜にも授業をするようにして1日4コマにしたい。それに加え、上記①~④のようなおかしなことを改善すれば、日本の教育レベル(本当に上位だったのに下降した)はぐんと上がっていくのにと思う。
過日、平成の初めころ、非常勤で出講していた大学での担当はスペイン語上級(4年生向け、今はそんなに上級までの科目はない)で、受講生は2名であった。先方も受講生ゼロで閉講になるのを心配してくれていたが、何とか2名いて開講できた。その2名のうちの1名は前任校で社会人向けにやっていた公開講座の受講生(当時は女子高生)だったが、本当に偶然に僕の授業を受けてくれることになって、真剣にスペイン語に取り組んでくれた。当時はなかなか良い教材がないところ、原書(小説や評論など)を片っ端から読み、文法の参考資料は英語で書かれたものを使っていたのが忘れられない。のちに結婚して家庭を持ったあとも、未だにメールなどで親交がある。その彼女の@以下はもちろん公開できないが、アドレスの最初はcarpe diemである。しかし、今の大学はcarpe diemが出来ないところになってしまったのかなあと、長くなったが、ある大学教員の呟きでした。
えっ!手遅れだって??
数年前、中国の結構田舎の大学(有名ではない)からの女子留学生が僕の初級のスペイン語を履修していたが、成績抜群、宿題はきちんとやってくるで、話を聴くと、留学生の範囲でバイトもしているし、他の科目も成績抜群だそうで、ある日、中国語の先生にその話をすると、「中国の大学ではそんなの当たり前」と不見識を一蹴されてしまった。
やっぱり、手遅れだな!
続く
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