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【嗚呼、人生 vol.16】

たまに思い出すことがある懐かしい風景。
離れてからまだ半年しか経ってないけど、ふとしたときに思い出す。記憶は、ヴェールに包まれるみたいにどんどん薄れていっちゃうから、どこかに記録しておかないと、とずっと思ってた。
けど、どこから書き記せばいいのかわからなかった。だから、とりあえず、書いてみる。

そこにはたくさんの、色んな症状を持った人がいた。同じことを何度も繰り返す人だったり、ご飯を好んで食べない人だったり、寝てばかりの人だったり。それはそれは色んな人がいた。好きなときに外に出られなかったり、おやつを食べられなかったり、会いたい人に会いに行けなかったり、不都合はたくさんあったけど、みんな制限された中でも自由に生活していた。歩けない人がいれば手を貸したり、寂しそうな人がいればお話を聞いたり、ご飯を運べない人のために運んであげたり。出来る人が出来ない人のために、当たり前のように手を貸す、そんな理想的な社会がそこにはあるような気がしていた。

出入りが激しい所だったし、毎日のようにはじめましての人に出会うけれど、挨拶したらすぐ仲良くなれるそんな不思議な空気感があった。そんなところにいると、「まとも」ってなんなのか、よく分からなくなった。特に精神疾患だったりを判断する基準って何なんだろうって。血液検査とかの数値では測れないし、診てくれるお医者さんによっても判断が違かったりする。そういう人が、病気と判断されてしまったら、それはなんだか「まともじゃない」の方に括られてるような気がして少し嫌な気持ちがしてしまう。


印象に残っている人の1人にコビトさんという人がいた。コビトという名前だけど背が高くて、笑顔が素敵なおじいちゃんだ。その人は私のことを見かけるといつも、私の顔にある特徴的なホクロの位置と同じ場所の自分の顔を指差しながら、「ハルコ!」と嬉しそうに呼んだ。私が誰かと真剣に話をしている姿を見るとお茶を汲んでそっとテーブルに置いてくれた。私が焦ってるようにみえるときには「ハルコ、大丈夫か?」と心配してくれた。そして、「ハルコ、結婚してくれ!」と、大きな手を差し出しながら求婚された。

私の名前はハルコじゃないし、長く付き合っている大切な人がいる。だから正直にそのことを言うと、「そうか、ハルコ!それなら安心した!子どもはまだか!」と。コビトさんは私のことをほとんど何も知らないのに話しかけてくれて、しかも将来まで心配してくれた。現実世界でこんなことをされたら鬱陶しいと感じるのかもしれないが、することが何もないような、ごく閉鎖された環境にいたら不思議と鬱陶しいとは思わなかった。むしろ親戚といるような親近感が湧いたものだ。

あの場所を離れてから半年が経つ。ふとしたときに、コビトさんは今どうしているだろうと思い出す。もし彼が私をどこかで見かけたら、また「ハルコ!」と笑顔で呼んでくれるのだろうか。

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