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だってビヨンセが味方してくれるから

マイナスまで落ちた心に再び起き上がる勇気と強さ、更に反骨精神をくれるのがSIAであるならば、
まだ起きたての、柔らかい心を一気にトップギアに持っていってくれるのはビヨンセで、
軽くもないPCを抱えた私は、ビヨンセと共にグラストンベリーの大階段(妄想)を意気揚々と下りるのです。

「あわよくば」精神の申し子たる私は、毎日最寄駅より2駅手前から歩くことによって、
「帰宅」と「ウォーキング」を両方同時に、そしてとにかく良い感じにこなせないか、とチャレンジする毎日ですが、

そうなってくるとウォーキングの「フォーム」を軽視することはできず、
コルセットなしでは生きられなかった繊細なあの子(腰)を宥めながら、
ネット上のあれこれを読み漁っては実践し、過剰に取り入れ過ぎて更に痛めるのです。


そもそも私のフォームがイケてないのは、以前書いた通り主に行方不明の腹筋のせいであって、
僅かばかり残った腹筋だけを意識するとそこばかりに意識を持っていってしまい、
骨盤の前傾、猫背、内肩、故の腰痛にかかってしまいます。

そして何より10歩も保たない。

なんかテンションも上がんない。
(ここ大事)


ところがある日、「何かいい方法がないかなぁ」とSpotifyでシャッフル再生しながら帰宅してる時に気付いてしまったのです。

「Crazy In Love」のイントロが耳に入ると自然と頭の中にライブ映像が流れ、
ビヨンセと一緒に大歓声を背負い、世界をリードするアイコンとして格好良く登場してる様を再現していることに。
そしてビヨンセごっこをしている時は、私が目指す姿勢を保ったまま歩けていることに。


なんかもう心持ちも変わっちゃって、急に強い味方ができたみたいな。
なんだったら私まで強くなったような感じで、「負けない!」みたいな。
何と闘っているか全然わからないのですが、なんか勝とうとしている。

そもそもビヨンセは「Formation」を発表するまでは「女性の権利の獲得」をテーマに活動してきたわけで。

つまり自分を女性であると括っている私にとってビヨンセは味方であり、
となると、同じ女性というだけの括りでしかない私の背後にはいつもビヨンセが立っていて、
まともな仕事を上げてくるわけでもない若造のマウンティングへのアンサーも、
完璧に仕立てた仕事内容でビンタする気持ちで、バリバリ仕事も頑張れちゃうのです。
なんせ、こちらにはビヨンセがついてるんで。

あれ、そうすると、これはもう一石三鳥なのでは?


ところで、嘗て私は所謂「職人」と呼ばれる職業についており、女性蔑視著しい師匠や社長の元で下積みをしていました。
全部合わせて約10年。

かなり特殊な職業故、特定されないためにもこれ以上「どんなことがあったか」など詳しい事情は言えないのですが、
まぁ、そこでの無理がたたって「鬱病」というものになったのです。
(半年ほどで就活できるまでに回復しました。)

しかし、370年以上続く伝統的な世界で女性がトップを勝ち取り独立できたのは、1990年代に入ってからという超最近であったことを考えると、
世界的文化の流行が「2年遅れて流行る」と言われる日本において未だにそういう思想のままなのは、ある意味仕方ないのかもしれません。

全然、共感はできませんが。


そんなわけで、今まで関わった男性に対しての恨み辛みが10年分降り積もっているバックボーンがあるからこそ、
私のメンタルに「ビヨンセ」がここまで響くのだと思います。

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