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フィクションであることの誠実さ ーレヴィナスからみる芸術作品における「死者の領有性」の回避ー

 反戦映画をどう観たらいいのか分からない。
と言うより正直なところ、反戦映画が好きではない。

理由は「死者たちに代わって」もしくは「死者たちのために」死者の言葉を語ろうとすることは不可能でしか無いからである。

噛み砕いて言えば、戦争の悲惨さを想起させる装置としての映画は誠実でない、というわけである。

それゆえあらゆる反戦モノを観てこなかったのだが、先日授業中にアラン・レネの『ヒロシマ・モナムール』を観ざるを得なかった。

これが案外面白い。
被爆地広島県広島市を舞台にして、第二次世界大戦により心に傷を負ったフランス人の女と日本人の男の逢瀬を描いた日仏共同制作のヌーベルヴァーグであるこの作品は、冒頭で映画『ひろしま』の引用映像と広島の街並み、そして男女の情事シーンが交錯する。

情事中の会話はこのように綴られていく。

「君は広島で何も見ていない」
「すべて見たわ 病院だって見た 確かよ」
「広島にいるのよ 見ないですませられる?」
「君は病院を見ていない」
「何一つ見ていない」


 私は戦争というテーマで『ヒロシマ・モナムール』を鑑賞した場合、制作陣の意図はこの会話に全て収斂されていると思っている。
もう一つ「忘却」もテーマにあるだろうが、今回語りたいことではないので省かせてもらう。

当時、日本のみならずフランスでも評価を得たこの作品には多くの批評が寄せられている。

ゴダールはこの映画に対してこのように語る。

「最も単純な意味で解釈すべきです。彼女が何も見なかったのは、そこにいなかったからです。彼もです。」
(ジャン=リュック・ゴダール、座談会「ヒロシマ、わたしたちの愛するあなた」)


そして、脚本を担当したマグリット・デュラスもこう語る。

「彼女は男にヒロシマで全てを見たという。彼女が見たものが映される。悍ましい光景である。しかしながら、男の声はそれを否定し、それらのイメージが嘘であると宣告し、男は、非人称的に、耐え難いといった口調で、彼女はヒロシマで何も見ていないと繰り返す。[…]ヒロシマについて話すことは不可能である。私たちにできるのは、ヒロシマについて話すことの不可能性について話すことだけである。」
(『ヒロシマ・モナムール』河出書房新社、2014)


この表象の不可能性の認識に、私は酷く頷いた。
生きている者が語れるのは「生者の言葉」でしかない。


生きているものとして表象を放棄することをなぜここまで評価してしまうのか。

それは私がレヴィナスの読者であるからだ。

私はレヴィナスの熱心な読者と言うほど彼の著作を読み進められているわけではないが、少なくともコリン・デイヴィスのいう「レヴィナス効果」にあてられた人間の一人ではある。
それは、身銭を切って彼のテクストを読むと、彼が自分にだけ世界の成り立ちを教えてくれたような気になってしまうという恐ろしい効果である。
私が彼に出会ったのは忘れもしない2019年9月、今までにない喪失の経験を治癒しようと彼の『存在するとは別の仕方で』を手に取った。
それからというもの、あらゆる切迫する事象に対して、私はレヴィナスを通して理解をしようとしてしまう。

『ヒロシマ・モナムール』に私がなぜ好意を抱くことが出来たのか。

レヴィナスが第二次世界大戦以降、思想的営為を捧げたのは「死者を弔う」ということである。

この「弔う」という言葉について内田樹はこう解釈する。

「弔う」とは、言い換えれば「死者をして死なしめる」ことである。「死者をして死なしめる」ために生者がなさねばならぬことは、死者たちを決して「存在論の語法」において語らないという法外な禁欲である。
というのは、死者たちは存在論の語法で語られる限り、「ここ」にいないが故に、いくらでも「ここで」利用可能なものになるからである。存在論の世界においては、「死者たち」は死ぬことが許されない。
「死者たち」は生者たちによって「使役」される。


では、レヴィナスは死者について語ってはならないとしたのか。それは違う。彼は「違う方法」で語ろうとしたのである。
彼は『困難な自由』の中でワルシャワのゲットーで亡くなったユダヤ人の手記という形をとったフィクションを批評している。

語り手はあらゆる恐怖を経験してきた人のようです。彼は恐るべき状況下で幼い子供たちを失いました。
残された時間わずかな、彼の家族のただ一人の生き残りとして、彼はその最後の思いを私たちに遺言します。確かに、これは文学的フィクションです。
しかし、それはあの時代を生き残った私たち一人一人がそこにめまいのするような既視感を覚える種類のフィクションなのです。[…]私たちはこの非人道的な叫び声の記録者や演出かとしてささやかな虚名を得ることを自らに禁じています。
その叫び声は永遠の時間を貫いて、決して消えないままに残響し続けるのです。その叫び声の中に聞き取れる思考に耳を傾けましょう。


 我々に許された方法は、死者の叫び声の中にある「思考」を「あの時代を生き残った私たち一人一人がそこにめまいのするような既視感を覚える種類のフィクション」として語り継ぐことどと、レヴィナスは言いたいのだろう。

それゆえに、私たちは死者から「使役」される側に立つのである。決して死者を領有して「使役」する立場ではない。

 そうやって「使役」される中で、私たちが「フィクション」として語り継ぐことができるものは何であろうか。

私はこの様に考えている。

『存在するとは別の仕方で』における「私の如何なる自由にも先行する絶対的受動性」により「他者=死者」の身代わりとして使役され、「ロゴス」としての「生者の言葉」を持つ。
そして『全体性と無限』に於ける「私のうちにすでにあるもの以外は「他者」から何も受け取らない」というポーズを取ることで完成される「何も語ることが出来ない」ということが、語り得る確かなものであるだろう。

この「何も語ることが出来ない」を語るという姿勢が、私にとって『ヒロシマ・モナムール』を誠実な作品として現前させた。


 話は逸れるが、レヴィナスと同様にヨーロッパの文脈とホロコーストという主題を共有する芸術家にはボルタンスキーがいる。

彼は父がナチスの迫害を受けたユダヤ系という出自を持つ。

私にとって、反戦を表現した芸術家で好意的にその作品を鑑賞できる数少ない一人である。


ボルタンスキー作品は、一見すると死者に対して非常に敬虔な祈りを捧げている様に見える。



しかし、過剰なまでの物質量を持ってインスタレーション化された「脱け殻の皮膚」としての古着や死者の「デスマスク」としての写真、その2次使用。

何度も複写され輪郭線の曖昧になった顔写真は惨たらしさまで感じる。
最終的に、私にはこれらの持つ「固有性を剥奪する暴力性」が伺える。

私はボルタンスキー作品が好きだ。
しかし一見すれば、ボルタンスキーの作品はレヴィナスの思想と相反する。
彼の作品は、死者を「存在論の語法」で語っているように見えなくはない。
ではなぜ、死者たちを「利用可能な文脈で」表象したように見えるボルタンスキーの作品が好きなのか。

それは、一個人としての「死者」をある事象に直面した集団としての「死者達」として均質させてしまうこの暴力性が、極めて過激な方法を取った「死者を存在論の語法に於いて語らない」ということであったからなのでは無いか。

前述したように、レヴィナスによれば、私たちに許された「証言」の仕方は「あの時代を生き残った私たち一人一人がそこにめまいのするような既視感を覚える種類のフィクション」としてのみである。

ボルタンスキーのインスタレーションに於ける量的過剰さや、均質化は「フィクション」としての語りを可能にしたのではないか。
彼の崇高で敬虔な「死者の追悼」の演出は、その過激な演出それ自体が「死者の言葉」の表象可能性の否定なのではないか。

レヴィナスから見るボルタンスキーの「死者の領有性」に関してはより考慮すべき点があるだろうが、ひとまずここで区切りをつけることにする。


 ただ確かなことは、今後私は「反戦」を描く芸術作品を見るための切り口としてレヴィナスの言うところの「フィクション性」と「非・存在論の語法」によるストーリーテーリングを以って鑑賞できることだけだ。

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