並木で仕立てたモッズスーツでチバユウスケの献花に行った話
先日、チバユウスケの訃報を聞いた翌々日に矢も盾もたまらず「洋服の並木」に駆け込みモッズスーツをオーダーしに行った話を書いた。
その後、オーダーしたモッズスーツで献花の会に行った話を書いておこうと思う。
ほぼ日記のようなものなので冗長な部分が多い事を先に断っておく。
上記記事を書いた時点では「お別れ会(当初のアナウンス)」について詳細が発表されていなかったが、2024年の元旦に「献花の会 Thanks!」が1/19(金)にZepp Divercityで開催されると告知があった。
抽選で、昼から夜までの時間帯が1時間ごとに区切られており、第一希望から第三希望まで希望の時間を選んで申し込む形だった。
時間の自由がきく日だったので「もうなんでもいい、どこでもいいから入れてくれ…」と思いながらも「平日だし首都圏民が仕事帰りに寄れる夕方〜夜の時間帯は競争率が高いだろう、遠方から来る方々は早めの時間は少し厳しいだろう」と計算して全て昼間の時間で申し込んだ。
こんなに当落が出るまでソワソワしたことはない、というくらい落ち着かなかった。
チケットプラットフォームのe+はクレジットカード決済にすると抽選結果発表の前夜などの早めの時間にカード利用のお知らせが来ることがある。前夜に献花チケット代+手数料の金額と同じ額の利用お知らせメールが来た時は安堵と「これでチバの不在と完全に向き合わなければいけなくなった」という気持ちが同時に来て、感情が乱れた。
翌日にはやはり当選の知らせが舞い込み、これは自分に必要なセレモニーだと完全に腹を括った。
そして、いつあるかもわからなかった「お別れ会」にじゅうぶん間に合うようにスーツを仕立ててくださった並木さんに改めて感謝した。これで自分なりの「正装」でチバに花を手向けに行ける。
ドレスコードがない献花の会、故人を悼む気持ちがあればどんな格好で行ってもいいと思うが、私はどうしても「チバに教えてもらった"かっこいい"の形」で自分に納得して行きたかったので念入りに準備をしていた。
モッズスーツにあわせる為、昔買ったジュンヤワタナベのかっこいいモッズコートをクリーニングに出し、中学生の頃から履いているマイ・ヴィンテージすぎるくたびれたドクターマーチンの10hブーツを磨き、全身のバランスに合わせた幅4cmの極細ナロータイ、ボーイズサイズの白シャツを買い直した(一般的にナロータイとして販売されている6cm幅のものは小柄な自分には太すぎてバランスが悪かった、一つ学んだ)。
久々に身につけるためにコートやブーツを手入れしながら、このアイテムたちも間接的にチバの影響を受けて手に取ったものたちだ、としみじみ考えた。私が音楽とゆかりの深い服装を好みつづけているのはチバが色々な音楽やカルチャーを惜しみなく紹介し続け、私がそれをかっこいいと思い血肉にし続けてきたからだ。
前日には美容院を予約して髪も整えた。
当日のメイクはシャープなスーツに合うように肌をセミマットに整え、リップ以外の血色感と色味を抑え、目元を引き締めるようにアイラインとマスカラをポイントにした。もちろんウォータープルーフのもので。
地元仙台の友人も同じ時間帯のチケットが当選していたため早めに待ち合わせて昼食を摂ったりした。この時間だけはいつもと変わらないテンション、友人と一緒で良かった。Zeppのあるショッピングモール・Divercityの中には献花のために来た事が一目でわかる装いの人々が沢山いて、装いの強さに対して皆どこか所在なさげに見えた。きっと自分もそうだったのだろう。
私は14時の回、30分前にDivercity集合。特に整理番号などはなく、ふんわりと待機場所に並ぶ。ライダースやスーツなど、チバを愛した人にとっての特別であろう装いの人々、黒っぽい装いの人々が想像以上の数集まっていた。とてもよく晴れていて突き抜けるような青い空と黒い装いの人だかりのコントラストが不思議な空気を増幅させていた。
1人1枚しか取れないチケットだったので1人で黙々と待機している方が多かった。見た感じ30代〜40代が多い印象。ミッシェルをリアルタイムで見て強い思いを抱いてきた層なのだと思う。
あまり湿っぽくしたくなかったから、友人ととりとめのない雑談をポツポツとしながら入場を待つ。
14時前にざっくりと待機列を作り会場内へ。こんなに気の進まない入場も、ドリンク代がないZeppも初めてだった。
献花用に手渡されたお花はガーベラだった。色はランダムらしく、私は黄色をいただく。まっすぐに茎を伸ばす綺麗な花だ、とまじまじと見つめてしまった。握りしめながら献花場所へ。
献花場所までの導線上にはかっこよすぎるチバユウスケの写真が写真展のごとく飾られていた。比較的近年のものが多かったと思う。
本当はやっぱただのチバ写真展なんじゃない?が半分、ああもうこの人はこの世にいないのか、が半分で思考が現実に追いつかない。
ただ一つ言える事は「チバユウスケって見た目がとんでもなくかっこいいな……」ということだけだった。シンプルに造形として美しくもあったし、くしゃっと笑う顔、パンク少年の面影を残したいたずらっぽい顔つき、真摯な眼差し、優しい笑顔、少し照れくさそうな顔、小学生の私が好きになった1996年のチバのまま歳を重ねていたことに気付いた。
数十年後にヨレヨレのジジィになってもかっこよかったんだろうな、そこまで見せてほしかった。
写真に見惚れながら順路を歩き、どうにも働かない頭で献花台へ。ステージと同じくらい幅がある献花代に大きな神社の初詣のように適宜列を作りお花を手向けていくスタイルだった。
美しく彩られた祭壇には訃報の時に出たあのチバの写真、百合の花、キャンドル、マイクスタンド、エフェクター、グレッチなどがセッティングされていて「チバを愛した人が作ったもの」だった。愛がこもっているものは美しいと感じると同時にチバの不在を突き付けられた。これを見てしまったらもう受け入れるしかなかった、少なくとも自分は。
献花列に並んでいる時に鳴り出したのは「世界の終わり」のおそらくはラストライブバージョン(違うかもしれません、記憶が曖昧です)というあまりに出来すぎた選曲に面食らう。
献花を終えた人の体感7割は明らかに泣いていた。
献花まであと数人という時になって混乱しはじめ、前に並んでいた友人の服を掴むこと数回。友人と一緒で良かった。
自分の番。何も考えてきていなかったが、言いたい事はひとつだけで「私の人生めちゃくちゃにしてくれやがって本当にありがとうございました」と手を合わせ、ダブルピースをして献花台をあとにした。自分なりの追悼。何故か涙は出なかった。
あまりに大人数が集う会だったのでキャパシティの関係上、献花が終わり次第立ち止まらず流れるように会場を出てくれと言われるものだと思っていたのだが、出口近くに立ち止まって祭壇を眺めたり大きな音で流れ続けるあらゆるチバの曲を聴いていてもいいよ、というスペースが設けられていて心遣いがあたたかかった。
自分と友人は思念が強い空間にすっかり食らってしまったので早々に会場を出ることにした。
思念と感情が入り混じった吐息だけを口から出しながら、メモリアルフォトをクリアファイルにそっと差し込んで階段をのぼったら外は相変わらずの晴天だった。
「チバはもうこの世にいない」というのを眼前に突き付けられて精神的にずいぶん食らったが、遺された自分には必要なセレモニーだった。開催されたことがとてもありがたく、参加できて良かったと思う。
チバの訃報ほどに大きく感情が揺り動かされることは今後あまりないのかもしれないが、これからも生存を続ける限り色々な不在を受け入れていかざるを得ないのだろう。
色々な音楽やレコードの掘り方やスーツの作り方、かっこいい在り方などたくさんの事をチバから学んできたが、今はロックスターの死の受け入れ方を自力で学んでいるところだ。