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平和は、わたしから始まる。


わたしは、外の世界を観て判断=ジャッジしているときが、苦しい。



息ができないほど苦しいのは、

外に見えるもの、

人のなかに見えるものは、

同時に自分の中にもある、と気づくまで

以前より時間がいらないからだ。



裁く=ジャッジ、という想念のアイデンティティーは、

善でも悪でもないけれど

その(ジャッジさん)が、違和感として大きな存在を表面化したときに

苦しいのは、誰でもない私だ。



外を見て判断、裁き、ジャッジをして

問題の原因は外にある!と思っていると

自分の内側でどんどん痛みが広がっているのに無視している結果、

身体が悲鳴をあげる。



想念たちは、生きている。

生きて、浅く息も絶えだえの呼吸をして

わたし達に愛されたがっている。

嫌われたくないの。

愛して、認めて…って言ってる。


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わたしはもう、全ての嫌われている想念さんたちを解放して、

愛にもどしたいだけなんだ。

そのものが、もともと持っている純粋な光として愛したいだけなんだ。

裁き、ジャッジさんたちは

わたしからの愛を待っている。

愛すれば、

魔法がとけたようにもともとの固有の法則を取り戻して、

純粋な光に変換され

安心して無へと戻っていく。


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わたしの中から手放された想念さんたちは、

裁いた世界からも同時に手放されていく。

愛する人達の中からも

手放されて自由になる。

想念さんたちが、

本当の自分をとりもどせは

世界のバランスは、

正しい時に

理解を超えた形で整っていく。



愛すれば 光となり、

排除しようと敵対すれば 闇に入る想念さんたちを

もうこのまま、放っておけない。



想念さんたちが

光と闇を行ったり来たりする幻を終わらせる責任は、

私にある。



裁き、判断、ジャッジ、批判などの想念さんを愛して

もともとの純粋な光にもどしてあげて

平和と自由をとりもどすのか、

それとも

苦しみ続けるのか?

選ぶのは、わたし。



平和は、わたしから始まるのだから。


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