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語学留学 (アメリカ)その6    寮の仲間ソフィーとマリアとヨナ

前に書いた通り、同じフロアに住むフランス人留学生のソフィアとは割と仲良くしていました。といっても片や大学の留学生、こちらは語学学校の留学生ですから普段はまったく接点がありませんでした。同じフロアに住むブルガリアだったかルーマニアだったか、東欧出身のマリア(仮称)も大学の留学生で、普段は廊下で挨拶する程度でした。それがいつごろからかちょっとした交流を持つようになっていました。韓国人で私のクラスメートでもあったヨナ(仮称)とソフィアと4人で外食したり、寮のキッチンで食事を作ったり、地域のイベントに一緒に行ったりしました。

ヨーロッパの人といっても色々な個性の人がいると思うので、一概に「ヨーロッパ人は○○だ」と言い切るつもりはありません。でも、マリアとソフィーとの出会いを通じて、生活の余韻の楽しみ方が私とはずいぶん違うなあと思いました。日本人のフミちゃんが入寮して最初にしたことはオーディオセットを買って、部屋を自分好みの音楽で満たすことでした。今ならスマホで同じようにするかもしれません。そして同じく日本人の私がしたことは中古TVを買って、部屋をどうでもいい音で満たすことでした。CMでもニュースでもドラマでも何でもいいんです。とにかく部屋に戻るとTVをつけて時々画面を見ては安心していました。もちろん英語耳を作れるのではという淡い期待もありましたが、そんな過ごし方になんの疑問ももちませんでした。

ある日、部屋に戻ろうとするマリアと廊下ですれ違った時に、彼女が「今晩の○○に行く?」と聞いてきました。私はそのイベントを知らなかったので「何、それ?みんなにアナウンスメントがあったの」と聞き返しました。キャンパスのイベントなら全員にアナウンスメントがあるはずでしたが、記憶がありませんでした。マリアは「ううん。キャンパスのイベントだけど、特にアナウンスメントはなかったと思う。私もネットで情報を見たの」と言うと、「よかったらイベントの場所と時間を確認するから私の部屋に来ない?たしかもうすぐ始まるはずだから一緒に行きましょう」と私を部屋に呼び入れました。

初めて入るマリアの部屋はやや暗く、机の上にパソコンが置かれているほかは何もありませんでした。TVやオーデイオセットなどの家電製品は一切なく、とても簡素でした。マリアはパソコンにキーワードを打ち込んで、イベント情報を検索してくれました。そして私がパソコンの画面をよく見るために机に近づいた時です。机の向こうの窓辺でほのかに揺れているキャンドルの炎が見えました。そこからは、いい香りも漂っていました。
「なんて豊かなんだろう」
キャンドルを見た時、そう思わずにはいられませんでした。マリアは部屋を暗いままにして、かすかなキャンドルの明かりとアロマの香りを楽しんでいたのです。シンプルだけれどおしゃれなキャンドルスタンドに立てたろうそくが、マリアの部屋の世界観を作っていました。この世界に身を浸しつつPCで情報検索しているマリアと、明るい蛍光灯の下でTVをつけっぱなしにしながら宿題をしている私とでは、同じインディアナ大の寮で同じ時間を生きていても、流れていく時間も世界も違うんだろうなあ。そう思わずにはいられませんでした。

フランス人ソフィーの部屋を訪れた時にも同じような驚きにおそわれました。
彼女の部屋にも家電製品はありませんでした。ソフィーの部屋を訪れたのは夕方で、部屋に入るなり目に飛び込んできたのは窓外に広がる豪華な夕景でした。寮に入る時、寮の事務局の人に「朝日と夕日とどちらがいい?」と聞かれました。部屋(窓)の向きが東向きと西向きと、どちらがいいのか聞いてきたのです。私もフミちゃんも迷うことなく東を選択しました。日本人で西日の当たる部屋を選ぶ人はどれぐらいいるでしょう。もちろん個人の好みですが、自然の中ならいざ知らず(海や山の夕日、素敵です)、部屋に入る太陽光が西日というのはあまりいいイメージがないと思います。不動産屋さんだって朝日や東南の日当たりを大事にしていますよね。

ソフィーは西日の部屋を選んだのです。季節や時間帯にもよるかもしれませんが、彼女の部屋は西日が直接差し込むというのではなく、隣接した大学の建物が夕日でオレンジ色に輝くのが間近に見られるのです。夕日が建物に反射してオレンジ色の光線が空気中で乱反射し、輝く靄のようなものを作り出していました。今までに見たことのない夕景で、息をのむ美しさというのはこのことだと思いました。「西向きの部屋からはこんなに素敵な夕方の景色が見られるのね」と言うと、ソフィーはちょっと自慢気にうなずきました。私も事前にこの景色の情報を知っていれば西向きの部屋を選んだかもしれません。

夕日の美しさの次に目に飛び込んできたのは、窓辺にある整理棚の上に敷いたおしゃれなスカーフの色でした。私やフミちゃんの部屋では整理棚の上はオーディオセットやTVで占拠され、いわば物置と化してていましたが、ソフィーはふんわりときれいなスカーフを敷き、その上に海で拾った巻貝などを飾っていました。

「きれいな貝ね」と言うと「クレイジーなのよ、これ」とソフィー。大事そうに手のひらにのせると「振ると奥で砂か何か音がするんだけれど、どんなに振っても砂は出てこないの」と言って私の目の前で振ってみせました。確かに砂か何かのかすかな音が貝の奥で響いていました。「何度も中の砂を出そうと強く振ってみたけど、だめなの。振ってみる?」渡された巻貝を私も振って砂を出そうとしましたが、音がなるだけで砂は一粒も落ちませんでした。「不思議でしょう。でもこのサラサラした音が好きなの」とソフィー。
ただそれだけの事なのですが、「豊かだな」と思いました。1日の終わりにきれいな夕景やお気に入りの巻貝を眺めて過ごす。もしソフィーが私の部屋に来た時、私は彼女に何か語れるものがあるかなあ。「見て。TVを買ったの」と言っても相手にされない気がします。私は私だからいいんだけど、中古TVに占拠された自分の部屋を思い起こして、一瞬、アンチ物質文明の気分になりました。

クラスメートのヨナも同じフロアーに住んでいましたが、彼女の部屋に入ったことはありません。でもヨナは私たちのために共通スペースのキッチンで韓国料理のトッポギを作ってくれました。「あまり料理は上手じゃないけど」と言いながらも、一生懸命作ってくれた韓国料理に私たち3人は辛さをものともせずに完食しました。私にとっては韓国の細長い円柱形のお餅を初めて見る機会となりました。今では新大久保辺りに行けば普通に食べられるのかもしれませんが。アメリカでは材料の入手もそんなに簡単ではないでしょうから(当時はアマゾンは一般的ではなかったと思います)、韓国から送ってもらったのかもしれません。お正月などの特別な日に食べるというその料理を作ってくれたヨナのやさしさは忘れられません。
普段はどちらかというと大人しい文学少女のようなヨナですが、先生になることを目指していて芯の強さを感じたこともありました。クラスに2限目から参加したことがあったので、「1限目はどうしたの」と聞くと「少し熱があって調子が悪かったからクラスを休もうと思って寝ていた」とのこと。「けど、ベッドにそのまま横になっていると本格的に具合が悪くなってしまうと思ったから、気合で出てきた」というのです。その日はそのまま最後まで授業を受けて、その次の日も休まずにクラスに来ましたから、きっと彼女の「気合」が熱と体調不良を吹き飛ばしたのでしょう。この辺はちょっと日本人に近い感覚かなと思いました。

自分とは異なる文化や考え方を知る、体験できるというのも留学のだいご味ですよね(これは大学付属の学校でなくても)。私が留学した当時よりずっと便利になって、ネットで会話もゲームも一緒にできる世の中ですが、何気ない日常からの国際交流というのは、やはり同じ空間にいてこそ実現するのかなと思います。早くコロナが収束するといいですね。

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