「M-65フィールドジャケットの思い出」
間もなく3月に入る。
いわゆる卒業式シーズンだ。
僕が高校3年生の時、タクシードライバーという映画を観た。
舞台はアメリカ、ロバートデニーロ演じるベトナム戦争から帰ってきた兵士が主人公で、戦争の影響なのか不眠症に悩み、大都会での生活になじめず、やがて狂気の沙汰を起こす一人の青年の物語、といった感じだろうか。
この映画はファッション誌でも度々登場するくらいだから結構な名作なんだと思う。
が、しかし、終始かなり重ためな空気感の映画と記憶している(かなり曖昧な記憶だが)。
映画の内容は割愛するが、とにもかくにもスタイリッシュなロバートデニーロが終始拝める。
劇中M-65フィールドジャケットを着ていて、アウトサイダーなその雰囲気がめちゃくちゃかっこよかった。
僕の目にはそう映った。
ただただ憧れた、そのジャケットに。
だから映画を観終わった後、当時行きつけだった、地元の古着屋でそれを買った。
次の年、僕は大学入学を機に上京した。
大学に入る(上京する)大義名分は「学び」であった訳だが、心の中では別の想いもあった。
僕の構想は次のようなものだった。
田舎から出てきた一人の若造が、大都会での生活をスタイリッシュに駆け抜けるサクセスストーリー。
地方から出てきた僕にとって、元々大都会はアウェー中のアウェーだ。
その時は標準語も別の言語に思えていたし、今じゃ当たり前に暮らしているが、電車や車のとんでもない交通量に慄き、正直毎日が祭りのような感覚だった。
話が少々逸れた。
アウェーな自分を孤高の存在として演出するために、入学最初の授業の日にそのM-65フィールドジャケットを選んで羽織って行った。
インナーには古着カルチャーからの影響からだったのか、今じゃ全く着ないロックTをばっちり着込み、実際に映画の中でも登場するパンツでリーバイス517という、コテコテな理論武装とも言える服装だった。
この時、僕の中にアウトサイダーな精神やロックさはなかった。
滲み出ても無かっただろう。
しかし、自分ではとっても満足のいく服装だった。
当日初登校という状況もあり、勿論気分も高揚していたからかもしれないが、今改めて思うことは、この日僕はちゃんと「自分の人生」の主役であれた、という確かな気持ちだ。
後にも先にもいろんな人生の節目が訪れては通り過ぎるのだろうが、あの日の僕はきちんと自分の意志で、TPOや周りの環境に左右されることなく、自分の人生の選択をしたとも思っている。
あの瞬間、僕は間違いなく自分の世界を生きていた。
時は流れ、あの日よりも世界とか社会は確実に身近になり、一方で遠い存在にもなった。
そして、守るべきものや維持しなければならない諸々のことが日々僕の頭の中で渦を巻いている。
だからこそ、そんなM-65フィールドジャケットをまた羽織りたいと思う今年の春だ。