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その128 坂東33観音霊場 19番札所 大谷寺

19番を抜いていました。

ここに来るときはいつも夕方になります。この日は閉館まで残り20分というところで到着しました。写真を撮りたいので、撮っているとカミさんから早くお参りしなくちゃいけないのに何をやっているのかとの言葉。
とにかく記録をと、あわてて写真を撮り、お参りをして、ご朱印をいただく。
本当はじっくりお参りして、境内の散策もしたかったのですが、できませんでした。しかし、岩に掘られた観音様はじっくりとお参りしました。比較することではないのですが、ここの岩に掘られている観音様が神秘的なのです。感動ものの観音様。

ご朱印坂東19大谷寺[1]

パンフレット
大谷観音の縁起
その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれていました。
岩下からは水が湧き出して川となり、自然が作った城のようでした。この中には毒蛇が住んでいて、時々毒水を流し出し、鳥獣虫魚がこれに触れると、たちまち死んでしまったため、ここを地獄谷と呼んでいました。
人間がこの水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみ、この地を捨てようとしていました。
時に大同、弘仁(810年~)の頃、弘法大師が東国巡錫の折この話を聞き、里人のうれいを除こうと毒蛇の谷に入って行きました。人々はこれを間いて喜びました。十余日の後、谷から大師が出てきて、毒蛇を退治したと告げて立ち去って行きました。
人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、高い岩山に千手観音が光り輝きそのわきだちには不動明王と毘沙門天が彫ってありました。
この三尊の光明は山谷を一面金色に変えました。人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、大師の修業を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。これが大谷寺の初まりです。
今、池の中央に弁財天が祭られています。かの毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、お仕えしています。参拝後には、白蛇の頭にも軽くふれて下さい。
大谷観音(西暦810年)
大谷寺本尊千手観音は、弘仁元年(平安時代初期)弘法大師の作と伝えられています。最初は、金箔仕上げで金色にかがやいていました。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東十九番の霊場に定められ、多くの人々から尊崇されて来ました。
なお、堂内岩壁面に厚肉彫に彫刻されている十鉢の石仏は、日本の石像彫刻中、最優秀なる技巧を究めたものとして、昭和29年3月に特別史跡に、昭和36年6月には、重要文化財に指定され、日本最初の二重指定を受けたものです。千手観音には、千の手と、千の目が有ります。手のひらに目が有り、いつも私達を見守っています。そして、たくさんの手でこの宇宙にあるすべての人々、生き物を救って下さる、有り難い観音です。お参りの際は、その大きな心を想い、世界の平和と人々の幸せを願い、合わせて感謝の気持ちで合掌しお参りして下さい。

係の方が『時間です』と言わんばかりに門で扉を持っていました。早々に退散。

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