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その129 坂東33観音霊場 22番札所 佐竹寺
ホテルルートインの朝食はバイキングとなっていて、6時45分から開始とのこと。今までの経験から、若干早めに行って、ならぶことに。なぜなら、あっという間に行列ができ、好きなものが無くなってしまうからです。
その慣わしにしたがって朝食へ。やはり、出遅れると大行列となっていました。夏休みということもあり、中高生と思われる団体がガツンと来ました。いつもなら和食を選ぶのですが、気まぐれで洋食を選択し、パンでのスタートになりました。
ナビをセットし、佐竹寺に向かいます。
門がいい。門から直線上に見える観音堂の藁葺屋根がいい。と、古刹に感動。やはり、古刹は鉄筋のお堂より、木造が味わいがあるし、古刹巡りにふさわしいと思う。
佐竹と聞くと、頼朝挙兵時の反頼朝軍であった佐竹を思い出します。初代がこの寺を造ったようですが、頼朝と戦ったのは三代目秀義。その後頼朝の家臣となっています。その戦いは小説でも読んだ記憶があります。
案内板
佐竹寺
佐竹寺は妙福山明音院と号する真言宗豊山派の寺院で、寛和元年(九八五)に花山天皇の勅願により元密上人が開山したと伝えられ、創建当時は現在地から西北西に約七〇〇m離れた鶴ヶ池の洞崎の峰に建てられ、観音寺と称していた。
佐竹氏初代昌義は、治承元年(一一七七)に同寺に寺領として三○○貫の土地を寄進し、六代長義は衰えていた寺堂を佐竹氏の祈願所として再興するなど、佐竹氏の隆盛とともに寺運も栄えた。しかし、天文十二年(一五四三)に兵火にかかって焼失してしまい、同十五年に十八代義昭によってこの地
に再建された。
明治三十九年(一九〇六)に国指定収要文化財となった本堂は、茅葺屋根寄棟造で、主屋の周囲にこけら葺の裳階をめぐらし、正面中央に唐破風をあげている。元禄時代に内部の柱を取り除くなどの大改造が行われたが、正面の火頭窓や柱、外陣の繋ぎ梁の海老虹梁や組物などに桃山建築の先駆としての様式を残している。
古くから安産、厄除けの仏様として信仰され、坂東三十三観音霊場の第二十二番札所として巡礼が絶えない古刹である。
常陸太田市
茅葺屋根の本堂のパワーなのか、落ち着いた空気に満ちた境内です。大きな銀杏の剪定作業中のようで、緑のギンナンがたくさん境内に落ちていました。前回来た時も庭の手入れをしていました。納経上に行くと人懐っこい猫とともにおばあさんに出迎えていただきました。