禍話リライト 怪談手帖『鼠不知(ねずみしらず)』
平成の半ば頃の話だという。
提供者であるAさん。
彼が休日の早朝に、目覚ましがてら、自宅の近隣を散歩していると。
ふと。
頭上から何かが降ってきて。
目の前の道路に転がった。
小石よりも小さい何か。
しかし、何故か妙に目についた。
拾い上げてみると。
薄茶色に汚れた、妙な形の白いかけらだった。
(何だろう、見覚えがあるような……)
しばらく観察してから、その正体に気づいて。
「……ウワッ!」
Aさんは思わず声を上げ、それを放り出した。
人間の、歯であった。
大人のそれではなく、乳歯のようである。
抜けた子どもの歯。
それも、色合いからして、かなり古いものだ。
慌てて見回したが、周囲に人影はない。
歯が飛んできた方向にあるのは、人が住まなくなって久しい平屋。
その辺りは、戦前からの建物が多く残っており、空き家も多かった。
そのうちの一つ。ちょうどその屋根の上から落ちてきたような感じだったが。当然、そこにも人の気配などない。
全く理解できない。何が何だかわからない。
首を傾げながら、その時はそれで終わった。
……ところが、何日かして町内会で集まって話し合った際。
ここ最近、同様の体験をしたという人が、何人もいることが判明した。
いずれも、あの家の近くを歩いていた時に。
後ろ頭に当たったのを拾ってみたら、とか。
シャツの襟に何か入ったと思ったら、とか。
そのように、様々で……。
中には、
「キラリと光りながら落ちてきたんだ」
そう主張する者もいた。
大抵は皆、そのまま放り投げるなり、捨てるなりしていたが。
「落ちてきたそれを、何となく持ち帰ってしまった」
という人も、何人かいた。
それを聞いて、彼らにハンカチや手拭いなどに包んだそれを持って来させると。
Aさんが見つけたのと、やはりほとんど同じもののようである。
「……歯が落ちてくるなんて、聞いたことがない」
おまけに。
よく考えれば、こんなに小さなものを全員が歯だと判別できたというのも、何やら奇妙な話である。
だんだんとその場の者たちが不気味がって、あれこれと話した結果。
「……イタズラにしてもタチが悪い」
ということで、有志で件の家の近辺を見回るなどの方策が取られた。
しかし、特に成果がなかった。
それどころか、見回りをしていた者が、また新たに降ってきた歯のようなものを拾ってくる始末である。
「こうなったら、監視カメラでも何でも設置して……!」
となったものの。
「……その前に、あの家について。一応、調べておくべきでは?」
という声が出た。
そこで。
Aさんを始めとする数人で、当たってみたところ。
戦後すぐくらいまでは、一家が住んでおり。
彼らが他所へ引っ越していって以来、誰も住んでいないということがわかった。
逆に言うと。
それ以外には、めぼしい情報が出てこなかったのだ。
それでもめげずに、いろいろ聞き込み回る内。
近隣に一人暮らしをしている高齢の男性。その男性の家に、問題の家の、一家の暮らしていた当時の写真があるとわかり、何人かと共にAさんは休みの日に訪ねていったのだという。
擦り切れた畳の一室。老人の皺だらけの手で、手垢の染みた箪笥の底から引っ張り出されたそれは、パラフィン紙に挟まれ、色褪せて薄茶色になった白黒写真だった。
「……紙を剥いで、ちゃぶ台の上に乗せられた、それを見た時。誰からともなく、『……えっ?』と、声が上がった……」
……とは、Aさんの弁だ。
あの家の軒下に、晴れ着を着た子供が三人。並んで立っている。
その顔が、どれも能面のように無表情で、やけに目鼻口が薄く見える。
どうやら、年月の経過により写真の細部が掠れて劣化したせいらしかったが、問題はそこではない。
写真を目にした瞬間に、全員が。
(ああ、この子たちの歯だ……)
直感した。
同行した全員がそうだったらしく。
視線を交わしながら、口々に、
「あの歯……」
「あの歯だ……」
言葉が漏れた。
さらに続けて。
Aさんの隣にいた、中年女性が。
思ったままを、口にした。
「……これってさ、あれじゃない? ほら!」
「……『鼠の歯にかえてくれ』ってやつ!」
(それを、無言で行う土地も少なくないが)
乳歯が抜けた時。
下の歯なら屋根の上に、上の歯なら軒下に。
息災を願い、『鼠の歯とかえてくれ』と言いながら投げるという、有名な言い伝え。
全員が、
(……それだ)
と感じて、思わず頷いた。
あのまじないのまま。
あの一家が住んでいた当時、家に向かって投げられたものだろうと。
理屈ではなく、直感で理解したのだという。
一瞬、胸のつかえが一つ下りたような、そんな心地で曖昧な笑みを浮かべたものの。
すぐに、何も解決していないことに思い至った。
(仮にそうだとして。それが何故、今さら降ってくるんだ……?)
Aさんたちはその一家について、あれこれとその老人に訊ねた。
しかし、老人はほとんど一家の人となりや背景について憶えていなかったようで、受け答えも甚だ曖昧だった。
ただ、少なくとも一家の越していく時までに不幸などはなかったはずだと、老人は朧げな記憶を辿りながら言った。
その家を辞した後も、Aさんたちは他に当時のその辺りのことを知る人がいないかと探したのものの、結果としては空振りに終わった。
ただ、歯については。
答えがないなりに、延々と議論を続ける中で。
ポツリと誰かが言った。
「……つまりさ? 『投げ返されてる』ってことだよな」
何十年も前に、願いを込めて家に向かって投げられた子どもの歯。
それが、返ってきている。
その言葉を受けて、別の誰かが笑った。
「……『誰』がやるってんだよ、そんなこと! いったい、どんなやつが。なんで……」
Aさんはその会話を聞いた時。
『契約の不履行』『払い戻し』
そんな言葉が、何故かフッと頭に浮かんだ。
そして、自分でもその意味がわからないままに、ゾッと寒気がしたのだという。
結局、一枚の写真と、そこから得た霊感とでも言うべき歯への答え合わせ以外は何もわからなかった。
予定していた監視カメラも取り付けられたが、イタズラの実行犯が見つかることはなかった。
歯は、それから一月の間に同じようなペースで落ちてき続けて、やがてパッタリと止んだ。
正確には数えていないが、最終的には合計で五、六十本ほどを数えたようだ。
「……ちょうど子ども三人分に当たるんじゃないか」
そう主張する者もいたが。
それ以上、考えるのはやめにしたのだそうだ。
※余寒コメント
歯を投げる、という俗信に纏わる家族。
ということで、大学時代に集め、ごく初期に禍話に送った『マスク大家族』を、当然僕は想起した。
しかし、確認したところ。
特に近しい地域でもなければ時代も違うし、実際に起きている現象も異なるので、直接の関係は今のところ見出せない。
今回紹介した俗信については、地域や時代によっては鼠ではなく、
『鬼の歯とかえろ』
と言って歯を投げることもある、そうである。
※【怖い話】マスク大家族【「禍話」リライト40】
この話『マスク大家族』のコミカライズも収録された、漫画版『禍話』はこちら……
そしてこちらは11月20日(水)発売『禍話 弐』……
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話インフィニティ 第三十八夜』(2024年4月6日)
から一部を抜粋、文章化したものです。(0:53:40くらいから)
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