禍話リライト 怪談手帖『つきまとう女』
大手企業で管理職を務めるYさん。彼は写真嫌いで有名である。
カメラを向けられるだけでなく、携帯電話でのちょっとした撮影の端に自分が写り込むことでさえも嫌がるという筋金入りで、周囲からも不思議がられているそうなのだが、その理由をYさんはあまり人には話さない。
「少し変な理由なんでねぇ。信じて貰えても、貰えなくても、気持ち悪がられるだけだし……。
……あなたも、話半分で聞いてくださいよ?」
そう前置きして、その理由を教えてくれた。
Yさんは若い頃、ストーカー被害に遭っていたのだという。
ちょうど一人暮らしを始めたばかりのことで、新社会人として慣れない生活と仕事に追われていた。そんな大変な生活の中でのストーカー被害であった。
日に何度も無言電話がかかってくる。
インターホンが鳴らされて、ドアノブに見覚えのない買い物袋がかかっていたこともあった。
「いや、最初はね? 勘違いとか考えすぎだとか思ったんだよ。でも、割とすぐにエスカレートして。まあ、こう言っちゃなんだけど、わかりやすくなった、っていうか」
留守番電話に、Yさんの名を連呼するくぐもった女の声が何度も吹き込まれるようになった。
家のポストには『会いたい』という旨の手紙が入るようになった。
贈り物と称して、物品があれこれと投げ込まれるようになった。
「……まいったよ。初めての経験で、自分の生活空間に知らない奴から干渉されて気持ち悪かったのもあるんだけど……」
心当たりが何もなかった。
Yさんはプレイボーイというわけでもなく、さほど異性にモテるタイプでもなく、人並みに夜のお店などには行くものの、職場の同僚を含め、さして女性と深い関わりを持つことはなかった。
「いや。もちろんストーカーってねぇ、そういうのと関係なく起きたりするっていうのは知ってたよ? 」
Yさんは周囲にもストーカーのことを話し、同じ部署、違う部署を含めた会社の人間、行ったことのある夜の店の女の子たちまで、周囲の人間を一通り調べてみた。
けれど、結果は空振りだった。
Yさんの周囲に、考え得る限りではあのストーカーに該当する人物は見つからなかった。
そうすると別種の怖さが浮上してくる。
あの女は誰なのか。
周囲に該当者がいない。となると本当にYさんの預かり知らないきっかけから女はストーカーを始めたということになる。
だとすれば普通の相手ではない。
もちろん、ストーカーなどやる時点で普通ではないのだが、些細なきっかけ、本人でさえ知らないことからこんな執着をしているというのなら、危険度はより高くなる。
Yさんは警察に届け出た。証拠品もいろいろ持っていって相談したものの、相手の情報がほとんどわからない。
なぜか女のかけてくる電話番号はこちらからかけ直すことができなかったことや、Yさんが腕っ節の強い男性だったこともあって、その御時世では根本的な解決には至らなかった。
そうこうしている内にストーカー被害は進んでいった。電話や手紙の文言はエスカレートし、ついには帰ってウトウトしている時や深夜などにドアノブを直接ガチャガチャと回されるようなことまで起き始めた。
普通の人ならそこで神経衰弱になってもおかしくないが、Yさんは違った。
「変な話なんだけど……。
『……やられっぱなしでいられるか!』
って。ムキになっちゃって」
仕事をしながらもストーカーに対抗して接触を図ろうとしたり、手紙に対し抗議の返信をしたり、やってくるところを待ち構えて捕まえようと試みたり。
とにかく、相手が『会いたい』と言うのなら、一度会ってやろうと思っていたのだという。
「いや、今思ったらね? ストーカーをいたずらに刺激するようなことって、かえって逆効果だってわかるんだけど、その時は俺もちょっとおかしくなっててね?」
ところが、である。
あれだけ『会いたい』と連呼してしつこく悩ませてくるくせに、いざ直接会おうとするとその試みは全て空振りに終わった。
ドアを慌てて開けても、ポストへの投函のタイミングを見計らって捕まえようとしても、どうしても見つからない。逃げ足が異様に早いのだろうか。
そして空振りを続けながらも心折れずに行動を続けていたところ、ある日を境に電話や手紙、ノブ回しなどの行為はピタリと止んだ。
そのある日というのは特に何でもない日だったのだが、ポストに投げ込まれていた手紙に、
『外でお会いしましょう』
という一文だけが書かれていたのだ。
そのくせ、連絡先も待ち合わせ場所も何も書いていない。
その手紙が投函された日以来、女からの接触がなくなったのである。
途中から薄々、
(いよいよ普通の精神状態の人間ではない……)
と感づいていたYさんだったが、それにしたって理屈に合わない行為ばかりで、いい加減ガックリと来た。
では、この手紙でストーカー被害が終わったかというとそうではなかった。
「……写るようになったんだよ」
陰鬱な顔で呟くYさんによると、それからしばらくしてそのことに気がついたのだという。
写真であった。
Yさんが屋外で撮影した写真の遠景に、必ず見覚えのない女が写り込むようになったのだ。
当時は人並みに、いや、それ以上に写真好きで、インスタントカメラを使い結構な頻度で写真を撮っていたYさん。
彼が建物の外で撮った写真の背景のどこかに必ず……。
向かいの道路であったり、公園の端であったり、神社の曲がり角であったり、珈琲店の陰であったり。
灰色っぽい服を着た女が写り込んでいる。
遠景のせいか、顔の造作も曖昧な得体の知れない女。
なぜか屋内で撮影した写真には写らない。
そして、写真を撮った後で辺りを見回してみても、現実ではどこにも見つからない。
……どうやって自分の行動を把握しているのか?
常に自分の周囲に潜んでいるのか?
『外で会いましょう』とは、そういうことだったのか?
「俺、完全にまいっちゃってさぁ……」
なるほど、それがきっかけで写真を撮らなくなったのか。それは無理もない。
そう言うと、Yさんはますます陰鬱な表情になった。
「いや、そうじゃないというか……。まあそうなんだけど……、続きがあるんだよ」
自分の写真にストーカーらしき女が写り始めたことに気づいたYさんは、愕然としつつも次の行動を開始した。普通に考えれば改めて警察に行くところだが……。
「俺、相当まいっちゃってたんだよ。正常な判断が出来なくなってたんだ」
何とYさんは、かえって写真をやたらめったらに撮り始めたのだという。
外へ出てはいろんな場所で写真を撮って周囲のそれらしい場所を探し回る。ポラロイドを用い、女が写り込んだ場所へすぐさま向かう。
家に帰ると膨大に増えていく屋外での写真を集めて並べ、時系列に沿ってファイルに閉じ、記録につけ始めた。
検証してやろうと考えていた。
どうにかしてあの女の尻尾を掴んでやると、写真を撮ってはファイルに閉じ、その中の女の姿と睨めっこする日々が続いた。
……そうしてファイルに写真がいっぱいになった頃、友人がYさん宅を訪ねてきた。
近頃、Yさんの様子が変なので心配して来てくれたのだ。
ストーカー被害については知らせてあったので、Yさんは正直に事の次第を打ち明けたのだという。
話をしている内に友人は眉を顰め、怪訝な顔になった。そして至極真っ当な意見を述べた。
いくら何でもおかしくないか。状況からして既に異常である、と。
いくら熱心なストーカーでも、Yさんの行動を完全に把握し、あまつさえ写真を撮るタイミングを察知して必ず写真に写り込むなんてできるわけがない。
むしろ、そういう、
『特定の人物が常に自分を監視し、写真に写り込んでいる』
というYさんの主張こそ、正に神経のまいった人間のそれであり、極端な言い方をすれば統合失調症のような症状に似ているのではないか、というのだ。
「おまえ、おかしくなってるよ。疲れ過ぎたんだ」
友人にはっきりそう言われたことで、Yさんも、
(その通りだ)
と思ったのだという。
当時、既に自分でも薄々、妙な袋小路にはまり込んでいるという自覚はあった。
頭のどこかで、
(そうだ、そんなことがあるわけないんだ)
と理解していても、自力では止められなかったのだ。
誰かに言って欲しかったことを友人から言われ、ようやく落ち着いたYさんは、
「やっぱりそうか……、そうだよな……」
と呟いて、肩の荷が降りた気がした。
友人曰く、恐らく途中からYさんは同じ女が写真に写っているという強迫観念に囚われ、自分でそう思い込むようになってしまったのだろう、ということだ。
鏡に映る目の落ち窪んだ自分の姿を情けない気持ちで見つめながら、友人の言葉に頷いたYさんは、
(病院に行こうか……)
と考えた。
そして友人に礼を言い、自分が狂ったようにファイルしていた写真を苦笑と共に投げ出した。
友人がそれを拾い、
「病院に行くなら付き合うから」
と励ましながら、何気なくパラパラとページをめくっていく。
……しかし、その顔が、次第に固まっていくのをYさんは見た。
「……どうしたんだよ?」
友人は答えないまま、カッと目を見開いて次々とページをめくっていく。
「どうしたんだって⁉︎」
「……これ。おまえ……、何かの悪ふざけじゃないよな?
……いや、ごめん。そんなわけないよな。じゃあ、これ……」
狼狽した口調で友人は、震える声で言った。
「……写ってるなぁ」
「……え?」
「女。女だよ。全部に、本当に写ってる……」
つい先程まで自分を理性の境目に引き戻してくれていた友人の吐く言葉を、Yさんは呆然と聞いた。
しかも……。
「それだけじゃない……」
友人がうわごとのように言う。
「それだけじゃねぇよ。これ、おまえ、同じ女がずっと写ってるって言ったけど、おまえ、これ見ておかしいと思わなかったのか⁉︎」
理解の追いつかないYさんの前に、友人は震える声のまま開いた写真帳を示した。
そこには、日付順に並べられた写真が数枚あった。
その背景には灰色の服を着た女が写っている。どの写真にもだ。
だが、その顔は写真ごとに変化していた。
日を追うにつれ、絵の具が滲んだように溶けていっているのだ。
憑かれたように友人がめくるページの上で。
何十枚もの写真の中で。
どんどん女の顔が溶けていく。
最初の数枚では、確かに凡庸な表情も特徴もない目鼻立ちを見せていたはずの女の顔は、きれいに段階を踏んで崩れていき、とうとう昨日の日付の写真では完全なのっぺらぼうになっていた。
「なんだ、なんだこれ……」
Yさんは昨日までの自分が確かにその無数の溶けていく顔を同じ顔だと、同じ女の顔がずっと写り続けていると、そう思い込んで検証していた事実にゾッと寒気立った。
写真帳を放り出した友人の、
「おまえ、いったい何にストーカーされてるんだよ……」
という言葉も追い討ちをかけた。
「……その時の写真は全部燃やしたよ。その後、ツテを辿ってお祓いも受けてね。それからは妙なことは一応起きてないんだけど……」
Yさんは額に滲み出した汗を拭き取りながら言った。
「……写真はもう二度と見たくない。またあの女が写ってるんじゃないかと思うとね……」
そしてYさんはこう話を結んだ。
「……月並みなセリフになっちゃうけど、それ以来、自分自身のことも怖くなったんだ。あの女の顔みたいに、何事もないと思い込んで暮らしているけど、本当はそうじゃないってことが他にもあるのかもしれない、ってね……」
(原題『溶ける女』)
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『年越し禍話 忌魅恐 vs 怪談手帖 紅白禍合戦』(2020年12月31日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/659295248
から一部を抜粋、再構成したものです。(1:29:40くらいから)
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禍話リライト 怪談手帖『つきまとう女』 - 仮置き場
https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/02/22/222109
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