禍話リライト 忌魅恐 序章
禍話の語り手であるかぁなっきさん。
彼はある古いUSBメモリを所持している。
日本列島、どちらかと言えばその西の方にある、某大学。
そこにかつて存在した、大学非公認の文芸サークルに由来する品だという。
そのサークルの活動はオカルト、ホラー、心霊に特化していた。心霊スポットや怪談の現場となった場所へ出掛けていっては調査を行い、そうした活動内容を文章に纏め、コピー機で印刷して冊子にし、文化祭等で頒布していたそうである。
そうしたサークルにはよくあることだが、現役の学生ではない、何年大学にいるのかわからない。というか、もはや学籍があるのかも定かでない。そんなメンバーによって構成されていたという。
元々、大学側の認可を受けて正式な形で作られたサークルがあり、そこから枝分かれする形で生まれた、言わば分家的なものだった。
非認可ではあったが、学内に置かれた文化系用のサークル棟の空室に勝手に陣取って活動していたそうだ。
つまり不法占拠なわけだが、しかし迷惑行為をやらかしたり騒ぎを起こしたりするわけでもない。定期的に会議と称した飲み会を部室で行っていたが、その程度は他のサークルでもしょっちゅうやっていることである。
大学側も『学生の自主性を尊重し云々……』という、あまりその手の問題に介入しない方針だったため、特に咎められることもなく活動を続けていたという。
……ある時までは。
不法占拠とはいえ、サークル棟の一室を使用していたのだから、当然その隣の部屋を使用するサークルが存在した。
隣室を使用する学生たちは、問題のサークルの飲み会や会議の際の話し声を、普段から薄い壁越しに聞いていたわけだ。
だが、その日は異様に静かだった。
いつもならこの曜日、この時間帯ならば酒を飲んでワイワイやっている声やアニメの曲か何かを流している音が漏れ聞こえてくるはずなのに、今日は何の音もしない。
だが、誰もいないわけではないはずだ。
というのも隣室、問題のサークルの部屋のドアは、古ぼけて建てつけが悪くなっていて完全に閉じることができなくなっているのだ。
自分たちが部室に来た時、そのドアの隙間から、隣のサークルの面々のものだと思われる数人分の靴が転がっているのを確かに見ている。
(……どうしたんだろう?)
そう思うと、無性に隣が今どうなっているのか気になってきてしまった。そこでその学生は、よくないことだと思いながらも、サークル棟の薄い壁に耳を当て、隣から何か聞こえてこないかと耳を澄ませることにした。
例のサークルメンバー全員が、神妙な様子で誰かの話に小声で相槌を打っている。壁越しに聞こえてきたのはそんな声だった。
何だろうと思ってさらに耳を澄ませると、彼らの声に混じって比較的高い声が聞こえる。何を話しているかはわからないが、どうやら若い女性のようだ。その女性の言葉に対して彼らは相槌を打っているらしい。
「そうなんですか、どうしてもダメなんですか……」
「あ〜、どうにもなりませんか……」
そんなことを全員が口々に言っている。
まるで交渉、懇願。あるいは命乞いを最後にやっているような。そんな風に聞こえたそうだ。
(何だこれ、気持ち悪……)
そう思ったが、しかし所詮は隣のサークルの話だ。余程のことでなければ自分たちには関係ないことだろう。
それに、その大学はサークル棟が24時間解放されている類ではなかった。つまり、建物の閉鎖される時刻が間近に迫っていたのだ。
用務員が鍵を掛ける前に早く退出しなくてはいけない。ということで、それ以上隣の様子を確かめることなく彼らは大学を後にしたそうだ。
それっきり、だという。
そのオカルトサークルのメンバーは、その晩以来、全員行方不明になっている。
翌朝、彼らの部屋から靴がなくなっていたため、どうやら建物から退出はしたらしいという推察はされたのだが、それ以外は何もわからなかったそうだ。
その内に、問題のサークルに所属していた在学生について、学内の掲示板に『この学生を除籍する』という旨の書類が貼り出された。
しかし、普通なら『違法行為を行なったため』とか簡単に理由の説明があったり、サークル棟の自治会にもそうした連絡があるものなのだが、そんなものは一切なかったそうだ。
さらに、彼らの使用していた部屋についても、何の説明もなくある日いきなり、
『この部屋は使用できません』
という大学側による書類がドアに貼られ、それっきり使用不可となってしまったという。
だが、そうは言っても室内には消えたメンバーの荷物が残ったままになっているわけだ。
「それについてはどうするんだろうなあ」
隣室を使うサークルに所属する学生たちはそれが気がかりだった。隣同士とは言えほとんど交流がなかったため、問題のサークルが部屋に何を置いていたかどころか、中がどうなっているのかさえよくわからない。例えば何か変なものが残っていて、それが腐って異臭騒ぎにでもなったらたまらない。
そういう懸念もあり、一度確認しておいた方がいいのでは、ということで中を見てみたことがあったそうだ。
幸い、彼らがざっと確認したところ、室内には放置しておいてはまずいようなものは残されてはいなかったのだが、しかし代わりにあるものを見つけて圧倒されてしまった。
壁のほとんどを埋め尽くすほどの本棚。
所狭しと置かれた段ボール箱。
それら全てに大量の冊子が詰め込まれていた。それは、文化祭などのイベント毎にあのサークルが作成し頒布していたものだったという。
結局、彼らの失踪からしばらく経った頃、もう戻ってこないだろうという話になり、サークル棟の大掃除の際にそれらの荷物も全て処分してしまおう、ということになった。
本家サークルの主導の元、部室はすっかり片付けられた。冊子については引き取り手があればよかったのだが見つからなかったため、サークル棟内で倉庫代わりに使われている部屋にゴミの収集日が来るまで保管しておくことになった。
その大掃除の翌日のことである。
本家サークルに所属する学生が部室に向かう途中、急に警備員に呼び止められた。
「あ! ちょっとちょっと」
「はい?」
「ここってさ、変なダンスサークルとかあるの?」
「……は?」
ダンスサークルというのなら、つまり体育会系だろう。学内には体育会系用のサークル棟が別に存在する。なら、そっちで訊くべきではないのか。そう思って訊き返すと、
「いやあ、それがね……」
と、次のような話を始めた。
警備員曰く、昨夜の見回りの際、このサークル棟の前で十数人ほどの若い男女が踊っているのを見たのだという。
全員無言で、音楽もかけず、手足もてんでバラバラの方向に動いている。創作ダンスと呼んでいいのかどうかもわからない奇妙なものだった。
当然、何をしているのかと確認のためにそっちへ向かう。その途中、角を曲がる際に建物に遮られ集団の姿が隠れた瞬間があった。
その一瞬の内に、集団の姿は消えてしまっていたのだという。
「……確かにいたのにおかしいなあ、と思ってねえ。だからきみに訊いたんだけど」
「でも、確かにここの前で踊ってたんだよ」
そう言って警備員が指さす部屋。
それはあの冊子が置かれている倉庫だった。
……その警備員は、それから少し経った頃に退職している。
詳細は不明だが、何か変なことがあったから、らしい。
そんなことがあり、こんなものをここに置かないでくれという声が他のサークルから挙がったため、余程汚れたものは処分するしかないとして、一部については本家のサークルで預かるということになった。
活動記録として冊子を残しておく意義というものもあるかもしれない。それに、本家の部室内にそれを保管する余裕が十分あったからこそ最終的に引き取ることになったのだが、
(本家とは言え、ほとんど交流もない人たちのものをなんで私たちが……)
と、本家サークルのメンバーたちが不満だっただろうことは想像に難くない。
何にせよ、関わりたくない。そう考えたのか、冊子を入れた段ボール箱はガムテープで厳重に封印され、部室の片隅に押しやられた。
それからしばらく後のことだ。
「先輩、あの段ボールって何が入ってるんですか?」
本家サークルの上級生が、一年生からそう訊かれたことがあった。
その一年生が加入したのは半年ほど前、冊子を引き取った後のことだ。昔うちと関係のあったサークルの荷物を預かっているだけ、と段ボールについて軽く説明したことはあったが、例のサークルのことも含めそれ以上の話はしていない。
そもそも発端となった事件からもう何年も経っている。上級生の中にも、あの箱はよくないものだ程度の話しか聞いておらず、詳細を知らない者が結構いた。
箱自体もガムテープで封をしたままで一度も開けたことはないので、中に何が入っているのか、新入生である彼は知らないはずだ。
何も知らないはずの彼がなぜそんなことを言うのか、それが気になり、
「え? 何、急に。ゴミだよ? なんで?」
そう訊ねてみると、
「実は……」
と、次のような話をした。
昨夜、その一年生は翌日が提出期限のレポートを部室に忘れてしまい、サークル棟が閉まる時間ギリギリに取りに来たのだという。
彼が部室の前に来ると、すでに全員退出して電気が消されているはずなのに、部室のドアの窓越しに、室内にともった明かりが見える。
(あれ、消し忘れかな?)
最初はそう考えたが、すぐにその明かりの妙な点に気づいた。
蛍光灯のそれよりはるかに弱い、暗い部屋の中で豆球や電源の入ったテレビの画面が光っているような、あるいは半開きになった冷蔵庫から光が漏れているような、そういうボワッとした感じの明かりなのだ。
しかも、よく見れば光源の位置がおかしい。記憶違いでなければ、蛍光灯はもちろん、そこにはそんな光を放つようなものはなかったはずなのだ。
彼がドアを開けると、光は消えてしまった。光のあった場所を確認したが、光源になり得るものどころか光を反射するようなものさえなかったという。
「……その光ってた場所っていうのが、その箱の置いてある場所だったんですよ」
その一年生以外にも、夜に部室に行ったら誰もいないはずなのに話し声が聞こえた、そんな体験をした部員も、実は相当数いたという。
そんなこともあって、いよいよあの箱は良くない、どうしたものかとなった頃である。
耐震性の問題等、いろいろな関係でそのサークル棟を一旦解体して建て替える、ということになった。
そうなると、そのサークルとしては箱のことが問題となる。
細かな備品は部員で分担して預かり、棚や机のような大きなものは建て替えに際して用意された倉庫に収めたのだが、そうして優先順位の高いものから整理していくとどうしても例の箱があぶれてしまう。どう詰め込んでも倉庫にはもう空きがないし、当然部員たちもそんなものを自宅に置いておきたいわけがない。
どうしたものか。悩む部員たちの元へある女性が訪れたのは正にそんな時のことだった。
この女性、何年も前に卒業したこのサークルの大先輩であり、現在所属しているメンバーとの交流はもちろん、例の失踪事件の頃に在学していており、消えたサークルメンバーとも面識があったという人物である。
ちょうどいいところに、ということで、
「……あの箱はいったい何なんですか?」
と先輩に訊ねた。
そこで初めて現役メンバーたちは箱とその中身、そしてオカルトサークルにまつわる話の詳細を知ることになったのだが、そうなっては尚更、誰もあの箱を預かりたくなくなるのは当然である。
結局、
「一ヶ月だけでいいので何とかお願いします!」
そう現役生に頼み込まれたことで、その大先輩の女性が箱を預かることになったそうだ。
彼女自身、その手の話をあまり信じていないというのもあったし、現在もそこに住んでいるという大学近くにある彼女の実家、その庭に使わないものを押し込んである物置があったということで、そこに入れておけばいいや、と考えたらしい。
そんなわけで箱を預かることになった彼女は、帰宅するとすぐ、家族に伝えもせずに箱を物置にしまったそうだ。
異変はすぐに起こった。
同居している祖母が、物置から妙な音がすると訴えるようになった。
犬か猫だと思うが、赤ん坊の鳴き声のようなものが聞こえる。内側からガリガリと引っ掻くような音もするというのだ。
野良猫か何かが入り込んで子供でも産んだのかもしれない。もしそうなら中の品物が大変だ。
ということですぐに中を確認したのだが、しかし物置内には猫はおろか鼠一匹いない。
もしや祖母のボケが始まったのかとも思ったが、それ以外のことは全くシャキッとしているため、そういうことでもないようだ。
結局、よくわからないままにその件は流れたのだが……。
それからさらに数日後の深夜。
二階にある自室で、彼女が資格取得のために勉強をしていた時のことだ。
机に向かい勉強をしている彼女の背後から、コンコンという音が聞こえてきた。誰かが部屋のドアをノックしているらしい。
(お母さんかな?)
差し入れでも持ってきてくれたのだろうか。しかし、それにしては階段を登る音も廊下を歩く音もしなかったような気がするのだが……。
ドアを開ける、がそこには誰もいない。
(あれ? 確かに今、音がしたんだけど……)
後で考えれば、その時からおかしかったのだと彼女は言う。
普通、そういう時は変だなあとか怖いなあと思いながら部屋に戻るか、今ノックをしなかったか訊ねるために自室や居間にいるはずの母のところへ行くはずだろう。
しかし、彼女は部屋を出て階段を降りると、そのまま玄関から家の外へ出て行ったのだという。
そして彼女が向かったのは、あの物置だった。
(あれっ?)
物置の前に、人がいる。
その時の反応もおかしかった。深夜、自宅の敷地内に知らない人間がいる。つまり、不審者が侵入しているのだ。普通はそこで悲鳴を上げたり家族を呼んだりするものだろう。
しかし、その時の彼女は頭がボンヤリとしていて、そのまま相手に近づいていってしまったそうだ。それどころか、
「どうしました?」
と声すらかけたという。
黒い和服のようなものを着た、恐らく女と思われる、髪の長い人物だった。
正座のような姿勢のまま、物置の戸に額をズリズリと擦り付けている。そうしているだけで戸を開けようとはしない。
というより、腕が使えないのだろうか。両腕が身体の脇にダラリと垂れている。半端に開いた両の手のひらが、その背後に立っている彼女に向けられた形になっていた。
「あの〜、大丈夫ですか?」
女に声をかけながら彼女は近づいていく。そして、もし女がいきなり振り向いたら顔がぶつかってしまうのではないかというくらい接近した時、そこでようやく我に帰った。
(……え? 何してんの? 私はなんでこんなに近づいてんの?)
その瞬間、女の額を擦り付ける動きがピタリと止まった。
彼女曰く、顔を戸にくっつけるようにしていたため、声がくぐもっていて正確にはわからなかったが、そこで女に何かを言われたのだそうだ。
『●●●●●●』
そこで記憶が途切れている。
冷たさに驚いて目を覚ますと、彼女は物置の中にいた。膝を抱えるようにしてずっと座っていたらしい。
すぐに母親がやって来て物置の外に出された。朝起きたら玄関が開きっぱなしになっていて、泥棒かと思ったら娘の履き物がない。外に出てみると庭に足跡がある。それを辿って物置にいた彼女を見つけた、というわけだ。
「あんたどうしたの⁉︎ 夢遊病? 仕事のストレス?」
心配した母親が問い詰めるが、彼女にはこんなことになるような心当たりが全くなかった。
いや、ひとつだけある……。
そこで初めて家族に後輩から預かった箱の話をした。話を聞いた家族の顔がみるみる曇っていく。
「……ところで、お前その箱開けてみたのか?」
父親に訊かれ、そこで彼女自身、話に聞いていただけで自分は実際には中を確認していないことに気がついた。
開けてみろ。そう父親に促され箱を開封すると、中には冊子がギッシリと詰まっていた。
改めて確認してみたところ、それらの冊子は90年代から2000年初頭にかけて発行されたものであった。あまり質の良くない紙に印刷したそれらを段ボールに押し込んで倉庫や部室で何年も置いておいたのだ。ほぼ全てがボロボロになっていた。
そんなボロボロの冊子の一番上に、USBメモリがひとつ置かれていた。
恐らく一般に普及し始めた頃のタイプらしい。当然、現在のものと比較すると容量は少ないが、その分頑丈に出来ているのか、本体表面を覆うゴムこそ劣化し尽くしていたが、後に確認してみたところ中身は無事だったという。
そんなことがあったので、さすがの彼女も参ってしまった。一晩で目の下にひどいクマが出来てしまったほどだったという。
困った彼女は友人に助言を求めることにした。その友人というのはそういうことに対して勘が良い、いわゆる『見える人』である。
その友人もやたらにその手の話を吹聴する類ではなく、それ以外は全く普通の好人物だった。
そのため、そういう話を信じない彼女とも交友関係があったのだが、さすがにこうなっては頼れるのはそいつしかいない、ということでその友人に話を持ち込んだのである。
彼女から一部始終を聞かされた後、(伝聞であるため正確にはどう言ったのかは不明だが)次のようなことを言ったそうだ。
「……たぶん。
『それを、世に出せ』
……ってことなんじゃないの? 少しずつ、ガス抜きみたいな感じで」
「……ということなんですけど」
そんなDMが禍話の語り手、かぁなっきさんの元へ寄せられたのだそうだ。そして数度に渡るメールのやりとりの後、問題のUSBもまた、かぁなっきさんの元へ届けられた。
そこに納められた話の中から、他媒体からの引用や盗用でないオリジナルだと確認できたものを紹介する。それが禍話のスピンオフ企画『忌魅恐』が始動した経緯である。
なお、元となった冊子には当時流行していた『洒落怖』に別の漢字を当てた題名がついていたのだが、どうやらそれをそのまま使うのは『よくない』ようで『似たような別の題をつけるのがよい』らしい。
そこで考え抜いた結果、『意味怖(意味がわかると怖い)』に別の漢字を当てた『忌魅恐』となった、ということだ。
(忌魅恐の本編各話や他の書き手の皆様によるリライトは下記の禍話wikiやタグからどうぞ)
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 特別編『忌魅恐 序章』(2020年4月11日)
https://www.youtube.com/watch?v=yDBRzyLoX_s
を再構成、文章化したものです。
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禍話リライト 忌魅恐 序章 - 仮置き場
https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/10/10/005647
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