禍話リライト 怪談手帖『自然仏』(じねんぼとけ)
昭和の半ば頃のことだというから、昔話というほどではない。
Aさんのおじいさんが住んでいた集落のすぐ近く、山の麓で起きた奇妙な話だという。
ある昼過ぎ。山菜取りに行っていた老人たちが、興奮しながら駆け戻ってきた。
山道に入ってすぐの古い大きな樹の根元に、
『仏像』
がある、というのだ。
何人かでその様子を見に行くことになり、まだ少年だったおじいさんもついていった。
件の樹のところにやってきた人々は仰天した。
そこには本当に、遠目からでもわかる仏の姿が現れていたのである。
太い樹の幹に寄りかかるように座を組んで、手は印相を作っている。
「菩薩様だ……」
と、隣家の隠居がおじいさんに教えてくれた。
柔和な表情。優雅な肢体。細部の造作といい、大変精緻な代物である。
それは大人の二倍程の背の高さがあり、木像らしい、のだが……。
不思議なことに、一般的な『それ』とは異なり『眼』が吹きたての葉を映したような薄緑色をしていたという。
そして、草の青い汁を絞ったような臭いが辺りに満ちていた。
よく見れば、身体の表面には草木の繊維のような文様が走り、ところどころ茎の折れたような跡が薄っすら残っていた。
恐る恐る近寄って指先で触れてみた剛毅な住民によると、
「……少し、柔らかい」
ということであった。
確かに昨日まではなかったはずのものだ。
人々は興奮し、混乱を混じえつつも俄かに色めきだった。
普段そこまで信心深くないような者までが、
『奇跡』
という言葉を口にする、そんな異様な存在感がその仏像にはあった。
……けれど、子供時代のおじいさんはといえば、何か気味の悪いものを感じていた。
それは何かの確信、あるいは霊感じみたものではなく、単純に『自然に生えた大きな仏様』に対する生理的な違和感のようなものであったようだ。
ほんの数日の内に大樹の元に現れた仏のことは村中、さらには近隣の集落にまで広まり、住人がお供えをしに行くだけではなく、村の外から拝みに来る者が列を成すようにまでなった。
周りに縄を張り、雨避けの囲いを建て、即席の内陣のように仕立てられた大樹の周りは非日常的な賑わいを見せるようになった。
そこまでの事態になったのには、その仏像に対して、
『生きている』
という噂が立ったことも影響していた。
確かに、おじいさんの記憶によれば、その仏像は日毎に背が伸びていたのだという。
少なくとも最初に発見された時には大樹の半分ほどもなかったのに、十日ほども経つ頃には明らかに半ばを越していた。
おじいさんも親しい友達と共に何度か見に行ったそうだが。
いつのまにか仏の周りに山となっているお供えものやお菓子の類。それに普段ならこっそりと手を伸ばすようなイタズラ者だった彼らも、その時は全くそんな気分にならず、お互いに緑色の仏について、
「こわい……」
「こわいなぁ……」
と言い合ったという。
日毎にお参りや見物が増え、噂が広まった果てに、近隣の寺からお坊さんが観に来る、という話になった。
「仏像ということなら、どのような不思議なものであっても然るべきところに引き取るべきだ」
というような話だったらしく、村の大人たちは、
(どうやって断ろうか……)
と相談をしていたそうだ。
お坊さんは話のあった次の日にはもうやって来た。
……ところが。
山道の手前で車から降り、住民の案内の元、居住いを正して件の仏のところへ向かったお坊さんは、道を入り、一目大樹の下にあるものを見た途端。
「……あぁ。『コレ』は違うなぁ」
と言ったのだという。そして呆気に取られる住民を前にさっさと踵を返した。
道を戻り車に乗り込もうとするお坊さんに追い縋った人々が訊ねると、
「……あるべき像ならお迎えもしますが。
『アレ』は見るからにそういうものじゃない。
人が精魂込めた仏の姿はありがたいものだが……。
天然、自然の作ったよくわからないものは、お寺で扱うものじゃない。
皆さんも、ああいうものは放っておくのがいい」
というようなことを諭すように答えた。
「では、よくないものなんですか?」
という続けての問いには、
「……う〜ん。いいものか悪いものかも自分にはわからない。
ただ……。
『人の営みには関係ないもの』
……ではないでしょうか」
概ね、このようなことを言うとそのまま帰ってしまった。
必死で大人たちについていったおじいさんは、このお坊さんの受け答えを妙に覚えているという。
……大樹の下の仏に変化が起きたのは、その直後だった。
狐につままれたような心地で戻ってきた住民たちは、樹の周りに集まっていたお参りの人たちが、
「……仏様の顔がとれた!」
と騒いでいるところに出くわした。
見れば、大樹の下で柔和な表情を見せていた仏の顔の部分が、熟した果実が零れるようにポロリと抉れ落ちてポッカリとへこんでいた。
顔のとれた部分は、すっかり赤茶けて乾き切っているようにも見えた。
気味悪がって人々は仏の側から散ってしまった。
おじいさんや子供たちも、顔のとれた仏があまりに恐ろしく、しばらくその様子を夢に見てうなされるほどだった。
そして、それから数日の内に仏はみるみるその様相を変えていった。
全体に色がどんどんと褪せて形が崩れ、老いたように細かい皺が寄り……。
それなのに、背というか胴体の部分は変わらず伸び続け、胡座をかいた下半身より上の部分は枯れ木の化け物のようになっていった。
やがて、寄りかかった背後の大樹と一体化するようになり、最後には仏の顔だった部分だけが梢に、コブのように生えているだけの形になってしまった。
そうなると、当然ながら拝む者やお供えをする者もいなくなり、たまに様子を見に来る数名以外は不気味がって近寄らなくなった。
仏の最後は、その樹の死と共に訪れた。
もはや仏の名残が樹の根元で座を組んでいる脚の形くらいしか無くなった頃。
いつの間にか枯死していた樹齢いくつかもわからぬ大きな樹は、メリメリメリッと音を立てて半ばから裂け、力尽きたように折れたのだという。
人々は唖然呆然としながら、酷く歪な形に成り果てて死んだ大樹の残骸と、かつての俄か信仰の跡を黙然として片付けるしかなかった。
それを眺めながらおじいさんは、お坊さんの言っていた『人の営みとは関係ないもの』という言葉を思い出し、子供心にこう思った。
(あれはやっぱり『仏様』のようなものだったんじゃないか。
ただ、自分たちじゃなくあの樹にとっての仏様というか……、
『お迎え』
のようなものだったんだ……)
「……だから。自分たちとは何の因果もない奇妙なものも世の中にはあるということを、お前たちも知っておくといい」
おじいさんはAさんへ、そのように言い聞かせていたそうだ。
……なお、この話の証拠として。
折れた大樹の下に座を組んだ人の脚の形だけは、それからもかなり長い間その場所に残っていたということである。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『シン・禍話 第三十八夜』(2021年12月18日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/713874096
から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:49:55くらいから)
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禍話リライト 怪談手帖『自然仏』(じねんぼとけ) - 仮置き場
https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/12/27/210037
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