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禍話リライト 怪談手帖『うわん』

会社員のAさんの話である。

「……『ワッ!』っておどかすやつが苦手、って言うとさあ。
『わかります。ホラー動画とかのそういう演出、嫌ですよね〜』
なんて返されるんだよ。
まあ、合ってるんだけど……、ちょっと違うんだよねえ。
う〜ん、言い方が下手だから仕方ないのかなあ。
自分がおどかされるのは全然いいの。他人がおどかされるところを見るのが、無理なんだよ。
いやまあ、無理になっちゃったっていうか。そのきっかけの話なんだけど……」


彼が大学生だった、ある夏。
サークルの部室で、BとCという後輩二人が肝試しに誘ってきた。
大学からさほど離れていない場所に古い日本家屋があって、『おばけが出る』と噂されている。
そこへ行こう、というのだ。

「まあ、俺は行かなかったんだけどね」
噂は知っているけど、人がいないからって勝手に入るのはダメだろ。
彼はそんな至極真っ当な意見で、誘いを一蹴した。
後輩たちは女の子なども誘っていたが、誰も応じる者はなく、結局彼らは二人だけで、休みの日にその屋敷へ肝試しに行ったらしい。


……ところが。
誘ってきた時はテンションが高かったのに、休み明けにそのことを訊ねても歯切れが悪い。
行ったのかと訊くと、行ってきたと言うが。
どうだったと訊いても、二人とも曖昧な顔で言葉を濁す。

「まあ、あんな威勢良く出ていっておいて、何もなかったとも言いにくいのかなって。その時は、まあ、あまり気にはしてなかったんだけど……」


それから程なくして。
Cが失踪してしまったというのである。


「大事じゃないですか……」
と僕(『怪談手帖』蒐集者、余寒さん)が驚くと、Aさんは、
「ホントだよねえ……」
と頷いた。

「でも。肝試しと関係あるのか、っていうのが、よくわからなかったんだよね」

Cは肝試しをした直後にいなくなったわけではなく、前述のように大学に来た後、夜勤のアルバイトにも出ていた。
妙にオドオドした様子で仕事を終えた後、一人暮らしの自宅に帰らず、そこから行方がわからない、という流れだったらしい。
Bの方は、Cの捜索願が出されるに及んで相当なショックを受けていたようだが、何か知っているかと訊かれても『わからない』と答えていた。

捜索は続けられたが、Cは結局見つからないままだった。

Bは、というと。
もちろん意気消沈はしていたものの、サークルを辞めたりすることなく、Aさんたちに続いて普通に卒業までを過ごしたようだ、という。


「……で。話はそこからなんだけど」
地元で就職したAさんが社会人になって十数年を経た、ある日の晩。
仲のいい同僚と飲んで、二軒目へ行こうと店を出たところで、不意に携帯電話に着信が入った。
Bからだった。
「卒業してからろくにやり取りしてなかったから、酒も入ってたし、すげえ懐かしく思ってさ」
電話口で交わした会話によれば、Bは地元を出て職を転々としていたが、一昨日からこちらへ帰ってきているのだという。
「久しぶりだし、その内飲もうよ」
と言うと、
「……今から会えませんか」
と言うので、Aさんは少し驚いた。

「いや、結構遅い時間だったからねえ。だって、次の店行こう、って言ってんだから。でも、それより何より……」

Bはさらに、
「いつかの肝試しのこと、憶えてますか」
と問うてきた。
(急に話が飛んだな……)
と思いつつ、
「憶えてるよ。Cがいなくなる直前だったし、お前ら、仲良かったし……」
と答えると、
「実は、ずっと言えなかったんですけど……」
とBは切り出した。


「実はあの時、俺たち。あそこでおばけ見たんですよ」


「え、な、なんだって⁉︎」
問い返すAさんには構わず、電話のむこうの声は続いた。
「Cのやつ、それでいなくなっちゃったんじゃないかって、俺ずっと思ってて。なるべくそのことは考えないように、逃げてたんですけど。仕事に失敗して帰ってきたのを機会に、誰かに話したくなったんです。それで一番話しやすかった先輩に……」

「……いやあ。俺も、
(なんだこれ、どうしようかな……)
って思ったんだけどさあ……」

Bは相当に思い詰めた様子だった。
肝試しがどうこうというより、社会に揉まれたらしい後輩の精神状態が心配になって、Aさんは、
「いいよ、すぐ会おう」
と答えたそうだ。

すると嬉しそうな声で、
「実は今、大学近くにいて。あの屋敷に向かっているから、あそこで落ち合いませんか」
などと言ってきた。

Aさんは再び面食らってしまったが、Bは構わず、
「中には入りませんよ」
とか、
「あの時のこととか話すには、現場がちょうどいいんです」
などと続けた。

「いやあ、もう全然、理屈がわかんなかったよ。でもさあ……」
Aさんは、これはいよいよヤバいんじゃないかと思った。
(……不法侵入しそうなら止めないといけないし。適当なところで飲み屋にでも誘導しよう)
酔いの入っていたこともあり、気の大きくなっていたAさんはOKの返事をした。
面白がった同僚が、
「どうせ明日は休みだから」
と、ついて来てくれることになったのにも後押しされた。

道すがら、クラウドに保存していた大学時代の写真などで、
「こいつこいつ」
と、Bのことを説明したりしつつ。駅を降りて、懐かしいキャンパスを過ぎ、町外れへ向かう。

「思ってたより、様子は変わってなかったかなあ」

街灯がポツポツと続いて、ボンヤリとした光溜まりがまだらに生じている。
そんな中、古い道の角を曲がり、やがて行手の突き当たりに庭木のこんもりとした影が先に見え、その下にぐるりを板塀に囲まれた廃屋が見えた。

「在学中に何度か外から見たことはあったんだけどねえ。ああ、これ、まだあったんだって、驚いたというか……」

入り口から少し離れて、塀の前に男が立っているのが見えた。
手を振ると振り返してきて、Bとわかった。薄暗い遠目にも、風貌は確かにそれである。
目の前まで来ると、
「こんな時間に、すいません」
と頭を下げた。
近くで見たBは少し太っていて、しかも歳の割に髪の毛がだいぶ薄くなってしまっていた。

「だいぶ苦労したんだろうなあ、って感じで。うん、あいつなりに大変だったんだろうな、って。ただ、ちょっとねえ……」

「自分もさっき来たところですよ」
とBは話していたが。
なんだかまるで、ずっとそこで待っていたような。立っていたような。
風景の一部であるかのように、妙にしっくりと馴染んでいるように見えた。

「いやまあ。なんかそういう気がした、ってだけなんだけど……」

久しぶりの再会を喜ぶAさんの言葉や、ついてきた同僚の挨拶への返事もそこそこに。
Bは植物の覆い被さった屋敷の塀を背にして、大学時代の肝試しのことをいきなり喋り始めたのだという。

たどたどしく要領を得ない早口だったが、要約すると内容は単純だった。

あの日、二人でこの屋敷に入り『ヤバいもの』を見た。
本当におばけだったかは正直わからないが、明らかに普通ではなかった。
あんなものがいるとは思わなかった。
自分たちは本当に知らなかった。

「いやもう、そういった言葉の繰り返しで。何が出て、どうヤバかったのか、って訊くんだけど。そこは答えてくれなくて……」

さらには、Cの失踪がそのせいであると、Bは何度も主張し、自分を責めた。
同僚とAさんとで、関係ないだろう、気にしすぎだろうと説得しても聞かない。

「まあ、ねえ。埒があかないというか、詳細も全然わからないし。もうとにかく、あとはここからどう連れ出して落ち着かせるかってことだけ考えてたんだよね。そしたら……」


その時、Aさんは微かな違和感を覚えた。


説得を試みるBの、言わば背景でしかなかった古い屋敷。
その背景の一部が、小さく動いたように感じたのだ。

(……ええっ?)
と思って、捲し立て続けているBの方から視線をそらし、直感的にそちらへ目を向ける。


板塀の上。
緑が雑多に被さった、その場所。

指が出ていた。

左右に五本ずつ、汚れた指。伸び切った灰色の爪。
そして、その真ん中には、黒い丸い形。
(……はみ出した人の頭だ!)
と気づくのに、些か時間がかかった。

今出てきたものじゃない、と思った。
どちらかと言うと、ずっとそこにあった。
塀に手をかけたような形で、緑と一緒に背景の一部となっていて。
ちょっと動いたせいで、初めてそれに気づいてしまったというような……。


混乱する頭の中で、それでもAさんは比較的冷静な判断を下していた。
(……これはドッキリだ)
ふと横目で見ると、隣の同僚も唖然とした顔で同じ方に視線をやっている。自分の見間違いではない。
そのまま、互いに視線と無言のやり取りを交わした。
ふざけてる。いい歳をした大人のやることじゃない。怒るべきだろうか。
Aさんたちが逡巡している内にも、Bはこちらの顔すら目に入っていないような熱っぽさで、同じような言葉をただただ繰り返している。まだタネ明かしのタイミングではないのか。時間を稼いでいるのか……。


……ところが、その時。
塀の上の『それ』が、再び蠢いた。


それは、目の前のBの熱っぽい語りとは全く連動しない、じわじわとした動きだった。まるで芋虫が身を伸び縮みさせるような……。

「あ、これ、違う。って。うん、そこで確信してさあ。まあ、そう考えないようにしただけかもしれないけど……」

これはドッキリじゃない。
じゃあ、これはなんだ。
急激に恐怖が背中を這い上がり。
その目の前で、塀のふちから。
額が。
そして、その下にある顔が。
ゆっくりと出て来始めるのを認めた瞬間。

Aさんと同僚は踵を返した。

両耳を手で押さえて、
「ア゛ーッ! ア゛ーッ!」
と思い切り叫びながら、全力疾走で逃げた。

「いやあ。なんて言うか、その、その……。『それ』自体じゃなくてさ……」

逃げる直前、Bが、
「……ええ?」
と怪訝な顔をして背後へ顔を向けようとするのを、彼らは視界の隅に捉えていた。


「いや、その時ね。変なことを言うけど、わかったんだよね。
Bのやつが、『それ』を見ちゃう瞬間がダメなんだろう、って。
それを見たり聞いたりしたら、
『おしまい』
なんだろうな、って……」


塀の向こうから出てこようとしていたもの。
それは、ついさっき、写真の中に見たばかりの顔だった。
十数年前の、大学当時の、Bだった。

ただし、塀の向こうに見えた『それ』は、青黒く浮腫んだようなもの凄い顔色をして、両目を閉じ切っていたという。


道にへたり込み、脳裏に焼きついたその一瞬の容貌を反芻するAさんの隣で、同僚が息をつぎながら、
「……おい、おいっ! あれ、お前! あの、後ろから出てきたやつ、あれ、死んでたよなっ⁉︎ なあ、死んでたよな⁉︎ 死んでたよな⁉︎」
震える声で繰り返していた。


──後日。Aさんは気になって今一度Bの電話へ連絡をとってみた。
しかし、現在使われておりませんの声が返って来るばかりで、ツテを辿ってもBやその家族について知ることはできなかった。
問題の屋敷についても、でき得る限り調べてみたが。おばけが出るという噂があったのは事実だったものの、どういう曰くで、どんなものが出る、というのは当時からはっきりしていなかったらしい。


何より。
あの時、逃げる背後で『それ』を見たBがあげたはずの声。
それを、何とか押さえた耳のどこかで聞いていたような気がして。

Aさんは今でも、それがどんな声だったのかを考えてしまうのが、どうしようもなく恐ろしいのだという……。




この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話インフィニティ 第四十二夜』(2024年5月4日)

から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:13:40くらいから)
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