禍話リライト 怪談手帖『人面樹の旅館』
今は定年退職して暮らされているAさんが、昔おじいさんから聞いたという話。
若い頃、おじいさんは旅行好きで、それもいわゆる出たとこ勝負というか、ある地方へ出向いたら明確な目的地を定めずにブラブラするタイプだったらしい。
その日も仕事の予定がなくなってしまったのを良いことに、地方を荷物だけを持って放浪し、その日の宿を求めて山沿いの街に入った。
都会というほど栄えておらず、しかし田舎というほど寂れてもいない。そんな街の雰囲気が気に入って散歩がてら歩いていたところで街の南端に一件の旅館を見つけた。
あまり格式は高くなさそうで建物も古く寂しい感じだが、今のおじいさんにはちょうどよかった。
面白いことに、看板に書かれた屋号は『大食』という漢字二文字で、
(……おおぐい? だいしょく?)
と、最初は飲食店か何かかと勘違いしたという。
結局『宿泊旅籠云々』と看板に補足の字があったため、それで旅館だと気づいたのだが、
(旅館なのに『おおぐい』とは……)
と、食いしん坊なおじいさんはそちらにも期待を抱き、その宿に泊まりたくなった。
入り口に続く石畳を踏んでいく途中、むこう側に少し荒れた庭園が見えた。造りはあっさりとしていて、中程にある、柵に囲まれた一本の大きな樹だけがやけに目立っている。
建物の表に立ち、戸を開けてみると玄関には誰もいないようであった。
(おや?)
と思っていると、薄暗い奥から人が出てきて愛想良く挨拶する。宿を頼むと、
「この季節は空いてますよ」
と、すんなり受け入れてもらえたが、同時に、
「樹を観に来たんですか?」
と訊かれたという。
「……樹?」
庭にあった、あの樹のことだろうか。
おじいさんが訊き返すと、
「なんだ、知っていて来たんじゃないのか」
というようなことを言って説明してくれた。
それによると、ここは『人面樹』が植っているということで有名な旅籠なのだという。
その人面樹というのは先程おじいさんの見た、柵で囲まれた大きな柑橘類の樹のことで、文字通り人の顔によく似た珍しい実が成るのである。
ここに泊まるお客はほとんどがそれを見物するために来るのだ、と。
何とも妙な話だが、その頃まではまだかつての見世物小屋文化の名残があちこちにあり、温泉地などでは『鬼の骨』や『人魚のミイラ』『件の剥製』などを人寄せに使っていたようなところが少し前までは見られたような時代だ。どうやら、この旅館もそういう類らしい。
元来物好きなおじいさんはかえって面白がり、じゃあせっかくだからと、その樹を見せてもらうことにした。
奥から何人か従業員らしい人々が立ち現れて用意をしているのを眺めながら、最初に出てきた番頭らしい男に庭へと案内してもらう。
柵の近くまでやって来ると、なるほど立派な樹である。葉の形などからしても夏蜜柑の樹に似ていたという。
しかし、番頭の指さすままに見てみると。
たわわにぶら下がっているのは蜜柑ではなく、それよりもだいぶ小ぶりのスベスベした白い桃のような実で、しかも本当にひとつひとつが人の顔そっくりな形をしていた。
想像していたよりも遥かにしっかりと人間らしい顔になっているので、さすがのおじいさんもギョッとしたらしい。
簡略化され、髪の毛や耳こそないものの、大雑把に目鼻口は見分けられる。
それどころか、子供や大人、老人のようにそれぞれ顔の作りが違う。
目は全部閉じた形で表情らしい表情もないが、かえって奇妙な迫力も感じられる。
どうにも天然、自然のものには見えず、まあ作り物だろうと思ったが、どちらにせよ大したものだとおじいさんは感心した。
ただ、この手の観光地の見せ物にありがちな来歴や逸話、背景を述べる立札の類はどこにもない。
代わりに番頭の男が解説してくれた。
何代も前の主人の時。
この樹にひとつだけ人の顔をした実が生じているのが見つかり、それ以来少しずつそれが増えるようになり、やがて人の顔をした実しか成らないようになってしまった。
占いなどでいろいろ診て貰ったところによると、悪いものではなく縁起の良いものだとわかったので旅館の名物として宣伝することにし、それに伴って元は家の苗字を使っていた屋号も縁起を担いで改めた。
その改めた屋号である『大食』は『だいし』と読み、中国の書物に登場する、人の顔の実が成る樹が育つと記されている国の名である、という。
「実際、それから商売は繁盛し、万事上手くいって……」
番頭が解説するのを聞きながら、
(なんだよ、『大食』って書いてあるから期待したのに、御膳の量が多いとか味自慢とかそういうことじゃないのかぁ……)
と、おじいさんはガッカリしたものの、それを口には出さなかった。
それから番頭はそこらに成っている実をひとつひとつ指さして、
「これは先代。これはその妻。これはその弟。これは姉。これはその子供……」
という風に説明し始めた。
何でも、この実は経営者一族の亡くなった人の顔に似るのだという。
さすがにおじいさんも気味悪く思ったが、当時の見世物には付き物の因縁話だと理解したので話半分くらいに聞き流しながら適当に頷いていた。
その他には見るべきものも特になく、ちょうど準備も出来たと声もかかったのでおじいさんは部屋へ向かい、その旅館に宿泊した。
結果から言うと、その旅館のサービスはあまり良くない、というか当時からしてもだいぶ難のあるものだった。
まず、灯りに不具合があるとかであちこちが薄暗く、階段などは登り降りがしにくい。
また、秋頃とはいえ暖をとる手段に乏しく、借りた火鉢も具合が悪い。
風呂を焚いてもらったが、ひどいぬるま湯であまり浸かった気がしない。
出された食事がまた何だか薄くて味気なく、まるで寺の精進料理でも食わされているようなものだったそうだ。
従業員はやたらと多くあちこちを歩き回っていたが、こちらに気を回してくれるでもなく、何をどう立ち回っているのかよくわからない。
もうひとつ、これは不満というより笑ってしまったのだが、それらの従業員の顔がやけによく似通っている。皆が親子同士かのようである。
年齢も性別も体格も違うのに、顔は皺の有無やちょっとした感じの違いがあるくらいで、暗がりだと同じ顔が並んでいるようにさえ見える。それが何とも可笑しかった。
中居らしい女性に、
「皆さん、よく似てるねぇ」
と声をかけると相手もそれを見越したものか、
「一族経営でして〜」
と、おどけるような答え、慣れた口振りだったので、これは客に対する定番のツカミのネタなのかも知れなかった。
(結局、あの珍しい樹以外はあんまりいい宿じゃなかったなぁ)
と思いながらさっさと寝ることにして薄い寝床に潜ったおじいさんは、夜半、何かが聞こえた気がして目を覚ました。
暗い部屋の中、月明かりが薄青く差し込む窓辺を見やり、
(……夢でも見たかなぁ?)
と、ぼんやりしているところに、
ざわざわざわざわざわざわざわざわざわ……
声が響いてくる。
庭の方からだと気づいた時にはすっかり目が冴えてしまっていたので、浴衣に上を羽織って起き出した。
声はどうやら、決まった言葉を大勢が繰り返しているようである。訓戒か何かのようにも聞こえる。
おじいさんは部屋を出た。時間帯もあってか、誰にも会わない。
ただ、庭から大勢の声がしているということは、宿の人たちが何かしているのかもしれない。
純粋な好奇心で外まで出たおじいさんは、予想に反して庭にひとつの人影もなく、寂れたような庭園の景色に月光だけが降っているのを見た。
そしてその中で例の何か繰り返すような、
ざわざわざわざわざわざわざわざわ……
という声が変わらず響いている。
惹かれるようにして歩いて行ったおじいさんは、歩きながら声の出所がどこからなのか、だんだん理解し始めていた。
あの樹だ。
あの柵に囲まれた人面樹からだ。
近づいていくにつれ、もはやそれは確信に至った。
樹にぶら下がったたくさんの人の顔、それが、
わちゃわちゃわちゃわちゃわちゃわちゃ……
何事かを囁き合っている。
あの顔は作り物じゃなかったのか。半分夢の中のような心地で月の光の降る庭を樹の下まで来ると、ゆっくりと見上げた。
たわわに実った老若男女の顔をした実。
その全てが小さな目を薄っすら見開いて、小さな口を一斉に、
わちゃわちゃわちゃわちゃわちゃわちゃわちゃ……
と蠢かして判別できない言葉を話していた。
……誰かに揺さぶられ、顔を叩かれている。
ひどく朦朧としていた。身体のあちこちが痛く、何だかひどく寒い。
「おい! おい!」
さらに強く叩かれてハッとして目を覚ますと、泥だらけ、擦り傷だらけであの樹の下にうずくまっていた。
「何だこりゃ……」
そう呟くと、
「そりゃこっちが言いたいよ! あんた酔っ払いか⁉︎」
と、呆れたような言葉をかけられた。おじいさんに声をかけて顔を叩いていたのは、聞けば近所の駐在だという男であった。
「いや、俺はそこの旅館に泊まって、いて……」
と、説明しようとすると、
「……何を言ってるんだ!」
と、呆れたような顔をされ、そして振り返ったおじいさんはギョッとした。
日の元に照らされた旅館は完全に廃墟と言っていい様相で、とても人が暮らせるような雰囲気ではない。窓は割れ、戸は片方が外れている。
「お、俺は昨日、確かに……」
と、言いながら庭の樹の方を見上げると、あの白い桃のような作り物じみたたくさんの人の顔はなく、ただ真っ黒く皺が寄って腐ったような妙な実だけが地面に落ちていたり、辛うじてといった形でいくつかぶら下がっているだけだった。
……では、昨日のあれこれは全て夢だったのか?
(じゃあ、どこからが……⁉︎)
と、思いかけたおじいさんは、自分が着ているものに気がついてギョッとした。
(……この薄汚れた浴衣は何だ⁉︎)
駐在さんもちょうどそれに思い至ったらしく、怪訝な顔で、
「おまえ、その浴衣ぁ……」
と呟いている。
おじいさんは昨日からの一部始終を余すところなく説明して、旅館に一緒に行ってくれるよう頼んだ。
それから、騒ぎになった。
もうここ何年も誰も入っていないはずの建物の中に、いろんな痕跡が残っていた。
誰かわからないがたくさんの人間が行き来して踏み荒らしたような跡。
水が通っていないはずの線をめちゃくちゃに開けた跡。
火を使った新しい灰の跡。
御膳を引っ張り出した跡。
そんなものが大量に見つかったのである。
おじいさんの服と荷物は散々探された挙句、階段が腐ってしまって行けるはずのない二階の部屋跡へ梯子を掛けて上がった時にようやく見つかった。
浴衣は廃墟の中に残されていたボロボロの古い代物だった。
おじいさんによるイタズラなのでは、とも疑われたが、どう考えても一人でやったとは思えない跡が建物中につけられている。
他に誰かいるのかという問いにも、
「知りません……」
そう答えるしかなかった。
何が何だかわからないままだったので説明をしてほしいと頼むと、旅館についてのあれこれを教えてくれた。
何でも、人面樹のある旅館という売り文句で客寄せをしていたことは本当らしい。
ただ、土地の住民の話によると何代も前に庭の樹に人の顔が実り始めたのは、旅の坊さんだかを泊めておいて殺して荷物を奪い、その亡骸を庭に埋めたからだという真偽の定かでない因縁話があったからだそうだ。
旅の僧侶を殺して云々、というのは日本各地に『六部殺し』『こんな夜』といった名で伝わる有名な民話の類型そのままである。
だから、有名な民話そのままであるから真偽が定かではない、のだが……。
何年か前に経営者の家族が全員、同じ日に変死を遂げたのをきっかけとして、旅館は潰れてしまっていた。
変死というのも何かの中毒らしいということなのだが、皆が示し合わせたように庭に出てそこで亡くなっていたため、先の『坊主殺し』の昔話と合わせてひどく気味悪がられたという。
そしてあの樹も、手入れする者がいなくなってから実がどんどん腐ってダメになった。それでもまだ葉は生きているから樹そのものは死んではいないのだろうが、新たな実が成ることはなく、腐ったような実が下がっているだけになってしまったということだった。
もしかしたら、経営者一家の幽霊が応対したのだろうか。
そんな話になり、おじいさんは肝を冷やしつつも、
(そういうこともあるのかもしれない……)
と、納得していたのだが、駐在さんが持って来た、一枚だけ残っていたという旅館を撮った古い写真を見て、
「……うわっ!」
大きな声を上げた。
それは、旅館の庭であの樹の横に立った一家を写したものであった。
大人、子供、老人、男女。それぞれが思い思いに立ってカメラの前で笑っている。
その横に在りし日の樹が写り込んでいる。
並んで立っている一家の顔。
それは昨日、番頭に案内されて見上げた人面樹のあちこちにぶら下がっていた小さな顔のそれぞれだった。
そして写真の中に繁っている、全て一様に同じ、やけにのっぺりした小さな顔。
それは昨日、自分の応対をした番頭や中居、旅館のあちこちを動き回っていた従業員の顔そのものだった。
樹に繁っていた顔がそこにいた人たちの顔で、そこの人たちだと思っていた顔は樹に繁っていた顔だった。
何となく説明がつくような。
それでも嫌な余白がどこかに生じてしまうような。
得体の知れない気味の悪さが、その写真を見ていると湧いて来る。
結局、おじいさんはその古い写真をしばらく見つめていた後、話を打ち切って早々にその街を出た。
「……それでなぁ、先にそういう話を聞いてたせい、かも知れないんだが……」
Aさんに話す時、おじいさんはいつもそうしてこの話を締めくくったという。
「……あの実の顔は、殺されて埋められた坊さんの顔だったんじゃねえかと思ってしまってなぁ……」
※大食(だいし)はペルシャ語のタージ (Tāzī) の中国語音訳であり、アラブの有力部族だったタイイ族 (Tayy) の名から来ているとされる。元来はアラブ人全体を指す言葉だったが、拡大してイスラム教徒全体やその国家を表すようになった。またタジク人(タジキスタン、アフガニスタンを中心に居住するイラン系民族)と同語源という説もある。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話X 第十七夜』(2021年2月13日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/667105680
から一部を抜粋、再構成したものです。(0:36:00くらいから)
禍話Twitter公式アカウント
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禍話リライト 怪談手帖『人面樹の旅館』 - 仮置き場
https://venal666.hatenablog.com/entry/2021/08/11/213639
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