禍話リライト 浴槽の中
この話の提供者であるAさん。彼が友人に誘われ、とある廃墟に行った際の話である。
地方都市によくあるような、かつては賑わっていたが、別の場所が開発され、そっちが栄えた影響で寂れていった、かつての大通り。そんな道路脇にその廃墟は存在していた。
外も中もボロボロで、元々はどんな業種の建物だったかもよくわからない。
実際に侵入した人によれば、その廃墟には無数の個室があり、その中には放置されたままのカラオケの機材。そして浴槽と便器を備え付けた、ユニットバスのような浴室があるらしい。
それ故、元はラブホテル、あるいは個室タイプのカラオケ店だったのではないかと言われていた。
その廃墟にはこんな噂が伝わっている。
どの部屋かは不明だが、ある部屋の浴室、そこに入ってドアを閉め、完全に閉め切った状態にする。
そうして浴槽の中に入り、真っ暗な浴室内で『儀式』を行う。
すると恐ろしいことが起きる、というのだ。
『儀式』というと、供物を準備したり、呪文を唱えたり。そんな複雑なものを想像するかもしれないが、実際には『数字を数える』だけ、だそうだ。
ただ、その数え方が少し特殊らしい。
噂では、
『一、ニ、三、三、三、四、五、六、七、七、七……』
と、特定の数字を繰り返す。そんな行程を、さらに何度か繰り返す。というものらしい。
さらに、その数え方も紙にメモしたものを読み上げるのでは効果がなく、完全に暗記した上でやらなくてはならないのだそうだ。
何とも面倒な話だ。
しかし、その『面倒』というのが厄介なのである。
『儀式』に必要な行程の複雑さ、面倒さ。それが増すほどに『呪術的な印象』が強まる。そしてそれに伴い『噂としての強度』も増してくるのである。
噂が広まった背景にはそういう要因もあったのだろう。
ともあれ、情報が虫食い状態にもかかわらず、その廃墟に関してそんな奇怪な噂が伝えられていた。
「……その廃墟に行こうぜ!」
ある日、この話の提供者であるAさんは、友人からそう誘われた。
友人曰く、ネット上の掲示板を見ていた時に偶然その廃墟についての情報を見つけたらしい。そこには数字の正確な数え方、その詳細が書き込まれていて、彼はそれを完全に暗記したのだという。
「……それはいいけどさぁ。でも、どこの部屋かはわからないわけじゃん。それは書いてあったの? まさか、全部の部屋でやるの?」
元々、噂でもその部分は伝わっていないし、何しろ荒れ放題の廃墟である。
各部屋のドアに備え付けられていた部屋番号のプレートも、受付らしき場所にあった建物の案内図も既に失われている。
せめて、その部屋にはどんな目印があるとか、そういう情報がなければ、部屋番号だけ知っていても仕方がないのだが……。
「……あ」
どうやら、友人はその点についてすっかり忘れていたようだ。
「……あ、じゃないよ! そんなの、俺らも付き合いきれないよ! おまえがそうやって数えてるのを外でずっと待ってるのもおかしいだろ!」
「えぇ、でも、せっかく覚えたし……」
Aさんが指摘しても、そう言って友人はなかなか諦めようとしない。結局、どこかそれらしい部屋を見つけ、その一部屋だけ試して終わりにしよう。
そういう案でまとまった。
そうして当日、仲間内の何人かで廃墟へ行ったのだが。
到着して実際に現場を見てみると、廃墟には部屋が十個以上ある。
「いや、さすがにこれは俺たちも付き合ってられないよ」
どうやら儀式の際、部屋には一人しか入ってはいけないそうだ。言い出しっぺの友人が一部屋ずつ試している間、こんな虫がウヨウヨいるような屋外でずっと待たされているというのも、何ともバカらしい話だ。
そういうわけで、一度全員で廃墟内をグルッと見て周り、崩れ方やツタの生え方などを見て一番雰囲気のある部屋を選び、そこで例の儀式をやらせることにした。
「ほら、サッサとやって来い!」
友人が部屋へ入っていくのを見届けてから、Aさんたちは虫を避けるために乗ってきた車の中へと戻る。そうして車内で雑談をしながら彼が戻るのを待ったのだった。
……そうやって彼を送り出したまではよかったのだが。なかなか戻ってこない。
儀式といっても、噂によれば数を数えるだけである。行程を考えても、せいぜい五分程度で終わる内容だろう。
だが、雑談で盛り上がっていたAさんがふと気づいて時計を見ると、友人が部屋に入ってから既に十分以上が経過していた。
「……あれ? 戻ってこねえな」
「何もなかったらなかったで、すぐ帰ってくると思うんだけどなぁ」
「たぶん、何も起きなくて、悔しくて何度も繰り返してるんじゃない?」
「ああ、それはあり得るかも」
仕方ないなぁ。ということでもう少し待ってやることにしたのだが、それでも戻ってこない。十五分、二十分と時間がどんどん過ぎていく。
「……怖いけど、様子を見にいこうか」
「じゃあ、ジャンケンしようか」
「なんでだよ! みんなで行きゃいいだろ! おまえ、ジャンケン強いからって、急にそういうこと言い出すのズルいぞ!」
そんな風に少々もめた後、結局全員で部屋へと様子を見にいったのだが……。
「あ〜……」
真っ暗な部屋へと入っていくと、浴室の中から友人の声が聞こえる。
「……ん? なんか疲れきった人みたいな声がするぞ」
「あいつ、大丈夫かな」
「おい、開けるぞ?」
「あ〜……」
浴室の戸を開けて懐中電灯で照らすと、友人が床にへたり込んでいた。浴槽のすぐ横で胡座を掻き、その縁に顎を預けるような形で、気の抜けたような、落胆したような声を出し続けている。
彼のその様子を見た途端、全員が何となく理解した。
(本当に何かが起こって、それで本気でヘコんでるんだ……)
こういう場所だ。もしかしたら、ムカデとかゲジゲジとか、彼の苦手なタイプの気持ち悪い虫でもいたのかもしれない。
まず最初に浮かんだのはそんな考えだった。
浴室内にそれらしいものは見当たらず、異臭も漂っていなかった。そのため、汚い話だが汚物がどうこう、という話ではないだろうと思ったわけだ。
「どうした? なんかグロい虫でもいて、それを触っちゃったのか?」
「うあぁ〜……、グロい〜……」
話が通じているのかいないのか、何ともハッキリしない。
「おい、大丈夫か?」
「……よし。外に出よう。もう帰ろう」
それまで彼に対して少し冷たい態度だったのが、一転して急に全員優しくなり、車まで肩を貸して連れていってやったそうだ。
ただ、帰りの車内でもずっと彼は唸り続けていた。
「うぁ〜……」
「おい、大丈夫か?」
「明るいところにでも連れていってやるか。そうしたら落ち着くかも」
何かいいところはないかと車を走らせる内、道路脇に深夜遅くまでやっているゲームセンターを見つけた。ここなら明るいし、人もいて活気があるからちょうどいいだろう。
そう思って店に入って介抱してやったのだが、それでも彼はなかなか元に戻らない。
「うぁ〜……」
結局どうしようもないので家に送り届けたのだが。家に着くまで友人はずっとそんな調子で、その時は何が起きたのかは一切語らなかったそうだ。
……彼が詳細を話してくれたのは、それから半年後のことだった。
Aさん自身、あっさりとした性格だったからだろうか。仲間内でも彼一人にだけ、特別に話してくれたそうだ。
あの時。
友人は浴槽の中で、掲示板に書いてあった通りに数を数え終えた。
(……何も起きないな)
浴室内は一切明かりの差し込まない真っ暗闇で、なかなか目も慣れてこない。
が、例えどんなに真っ暗であっても、狭い部屋だ。
入ってから明かりを消すまでの間で、室内のどこに何があるか、というのは十分把握できていた。
(……もう少しだけ待ってみるか)
浴槽から出て、その横に座り込む。
(よいしょっと……)
そうして何となく、浴槽の縁に顎を乗せた。
その瞬間、顔を掴まれた。
ものすごく太った、ブヨブヨとした手。
『かなり良い方に考えて』そんな感じの手だった。
友人はそう証言した。
(……ウェッ⁉︎)
突然のことに驚いて何もできない友人。
彼の顔を、手の主である何者かがグイグイと押してくる。
その手は、ベトベトしていた。
『良い方』に解釈すれば、ものすごく脂ぎっている。
『悪い方』に解釈すると、何かの汁が滲み出しているようだった。
……ジュブッ
顔面に嫌な感触が。そして耳に嫌な音が伝わってきた。
その瞬間、友人は思わず声を上げていた。
「……やめてくださいッ!」
そう叫んだ途端、手が引っ込んだそうだ。
(ああ、よかった……)
そう思い、上半身を浴槽から離した彼だったが……。
そこから先の話について、
「信じてもらえなくてもいいんだけど……」
そう前置きしてから、友人は語ってくれた。
手もなければ、下半身もない。
つまり、腕のない、上半身だけの肉塊のようなものが、
ビチビチビチビチッ
浴槽の中から這い出してきて、そのまま友人の身体の上を、胸から顔の表面を這うようにして通過していった。
『それ』は天井へ向かって上がっていき、そしてそのまま消えてしまったらしい。
暗闇の中、『それ』をハッキリ見たわけではない。
だが、天井へと向かっていったその気配が、そこでフッと消えたのは確かに感じた。
そして同じく、自分の胸から顔面にかけてを這いずっていった、あのブヨブヨとした気持ち悪い感触も確かに残っていた……。
それからずっと胸から顔にかけての気持ち悪い感触が消えず、Aさんたちがやってきた時にあの様にへたり込んで呻いていたのだ、ということだった。
「それは、大変だったなぁ……」
友人の話を聞いたAさんは、そう声をかけてやるのがやっとだったそうだ。
……後で調べてみたところ。
その廃墟の裏手は湿地帯、沼地のようになっていることがわかった。
かなり昔から、そのままの形で残っている土地らしい。
……もしかしたら。
明るみになっていないだけで、そこには『そういうもの』が沈んだままになっているのかもしれない。
話を聞き、Aさんはそう思ったそうだ。
「……でも、人って変わるもんですねぇ」
最後に、余談としてAさんは付け加える。
友人はそれまで、どちらかというとふくよかな、ムチムチしたタイプの女性が好みだったらしい。
だが、その体験以降。トラウマになってしまったのだろうか、スレンダーなタイプの女性が好みになったそうだ。
この後、友人には彼女ができたのだが、その女性もスレンダーなタイプだった。
……ということである。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『ザ・禍話 第十二夜』(2020年5月30日)
から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(0:26:30くらいから)
題はドントさんが考えられたものを使用しております。
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