禍話リライト 孫が走る
提供者であるAさんのおばあさんが体験した話。
当時、おばあさんは既にかなり御高齢だったのだが、その割にまだまだ元気で足腰もしっかりしており、町内会の回覧板を次のお宅に回すなど、家の中のいろいろな仕事を率先して行っていたそうだ。
ある日のこと。
家族揃って夕飯を食べている最中、急に思い出したようにおばあさんが話し始めた。
「そういえば、吉田さんちのことなんだけどねぇ……」
吉田さん(仮名)というのは、隣家に住む老夫婦である。歳はおばあさんより少し下くらいだっただろうか。同じ町内会に所属していて、回覧板を回す順はAさん宅の次。つまり、おばあさんがいつも回覧板を持って行っているお宅だ。
その吉田さんがどうしたのかと訊くと、おばあさんは次のように話した。
「……いっつも、夕方の五時か六時くらいに回覧板持ってくんだけどね?
持っていくと奥さんが『ハイハイ』って言って出てきて。渡す時に、後ろに夕飯の支度をしてる台所が見えるんだけど。
そこを、ちっちゃい子供が走り回ってるんだよ。
たまに昼間に行く時もあるんだけど、その時もだいたい走ってるんだよねぇ。廊下や階段をバタバタと、ワーッて声を出しながら。
普通なら『お客さんが来てるんだからバタバタ走らないの!』って叱りそうなもんだけど、何も言わないんだよねぇ。まあ、歳も歳だし、お孫さんだからかもしれないしねぇ。
……でも、あの子。小学生くらいと思うんだけど、学校行ってないような気がするんだよ、アタシ。
忌引とかあるのかもしれないけどねぇ、アレっていいのかねぇ。アンタたち、何か知ってる?」
おばあさんからすれば、何ということのない、ごく普通の世間話のつもりだったのだろう。
だが、その話を聞いてAさんたち家族全員が絶句した。
「……え。おばあちゃん、ホントに?」
「うん、そうだよ。え、どうしたの?」
困惑して訊き返すおばあさん。その質問に答えたのはAさんの母親だった。
「……お母さん。お隣さんの吉田さんって、確か私よりちょっと若いお子さんが一人いるんですけど……。
その人、ずっと病院に入ってるんですよ。
若い頃に、確か、心の病気になっちゃったらしくて。
それからずっと、今も隔離病棟みたいなところに入ってるんですよ」
「……えっ?」
「だから、子供とかお孫さんとか、いるわけないんですよ」
「えっ、でも、確かに男の子が……」
「いやぁ、確かにその入院してる人も男性なんですけど……」
楽しい夕食の席が、一気にどんよりとした空気に変わってしまった。
結局、その時は父親が、
「……よし! テレビのチャンネル変えようか! 何か面白い番組でもやってないかな! お、今日の第一村人だ!」
そうやって気を利かせて話題と空気を変えてくれたため、そこで話は一旦終わった。
翌日。
また回覧板が回ってきた。
「……ちょっと隣に持っていって、確かめてみる」
その回覧板を手にして、おばあさんが言う。
事情があって親戚の子を預かっているとか、そういうこともあるだろう。それならそれでいい。
そして、もしおばあさんの懸念するような形で本当に子供がいるのなら、それはそれで話が変わってくる。
多少お節介かもしれないが、そういう時のために町内会というものがあるわけだし、おばあさん自身もその手の話を放っておけない性分だった。
となれば、普段から近所付き合いのあるおばあさんが確認しに行くのが最善、と言えるだろう。
「……そりゃそうだ。確かにそれは確認した方がいい」
おばあさんの話を聞いて家族全員、そう同意する。
それに、おばあさんは昨夜の家族との会話によって、
(……もしかしたら、自分はボケ始めたんじゃないか?)
と心配していたらしい。
そうしたいろんなことを確かめるため、おばあさんはお隣の吉田さん宅へ向かったのだが……。
そうして家を出てから十数分も経たない内に、おばあさんがパニック状態になりながら自宅玄関に跳び込んできた。
ずいぶん慌てて駆け戻ってきたらしい。
脂汗を流し、息も絶え絶えで、動悸や息切れの薬が必要なのではないかと思うほどの様子である。
どれだけ元気で足腰が丈夫といっても、歳が歳だ。おばあさんは普段は老人らしいゆっくりとした歩き方なのだが、その時の様子を偶然見ていた近所の人によると、短距離とはいえ、その時の走りは若者にも負けないくらいの速さだったそうだ。
おばあさんがそんな風になって帰ってきたものだから、家族もまた大パニックである。
「おばあちゃん! どうしたの!」
そう問いかける家族に向け、おばあさんが必死の形相で叫ぶ。
「早く! 閉めて! 戸を閉めて!」
まるで何かに追いかけられたかのような言い方だ。
家族の頭に一瞬、
(……まさか。お隣とトラブルになって、暴力を振るわれたりしたんだろうか)
そんな考えが浮かんだ。
だが外には追ってくるような人影もないし、それらしい物音も聞こえない。何が何だかわからないが、とりあえず今はおばあさんのことが最優先だ。
「おばあちゃん、落ち着いて! 誰も来てないよ!」
「どうしたの、おばあちゃん!」
そうやって家族みんなで何とかおばあさんを落ち着かせたのだが、一息ついてからおばあさんが語った内容は実に奇妙なものだった。
(確かに小学生くらいの男の子がいたはずなんだけど……)
そう思いながら、おばあさんは回覧板片手にお隣のチャイムを鳴らした。
「ハイハーイ」
いつも通りの返事が聞こえ、そしていつも通りに吉田夫妻が出てくる。
回覧板を渡し、玄関先で夫妻と何気ない会話を交わしながら、おばあさんは二人の背後、家の中をチラッと見てみた。
トトトトト……
『ワァァァァ……』
今までに何度も聞いた、あの走り回る足音、そしてはしゃぐような声。
それが、微かだが確かに家の奥から聞こえる。
間違いなく、誰かは『いる』ようだ。
夫妻との会話の後ろで、次第に足音と声が大きくなっていく。その主が近づいてきているらしい。
そして、
ドドドドド
『ウワァァァァァァ』
声の主が、夫妻の背後を右から左へ駆け抜けていった。
今までに何度も見かけた、あの子供ではなかった。
ブクブクに太った中年男性だったそうだ。
それを見たおばあさんは仰天し、慌てて駆け戻ってきた、というわけである。
……提供者のAさんが言うには。
その日以降、吉田夫妻の姿を見た人は誰もいないそうだ。
家の全ての扉や窓、カーテンが閉め切られ、中からは物音一つ聞こえてこない。
夫婦揃って病院か老人ホームにでも入ったのでは、という意見もあったが、どうやらそうでもないらしい。
町内会の都合もあるので一応、ということで回覧板を玄関先に置いておいたところ、いつのまにか回覧板がなくなっていて、そしてこれまたいつのまにか次の家へと回されていた。
さらに、生協の宅配便の箱が玄関先に積まれているのを見た人も少なくない。
(夫妻、あるいは別の誰かが)家に居ることは居る、らしいのだが、それ以上のことは何もわからない。
吉田夫妻の家は、今もずっとそのままだそうだ。
そして、おばあさんの様子も少しだけ変わった。
元々、おばあさんは怪談の類を好まず、『リング』などのホラー映画も『馬鹿馬鹿しい』の一言で片付けるような人だった。
だが、この体験以後はテレビの心霊特集などを見ると、
「……世の中には、そういうこともあるのかもしれないねぇ」
と、静かにそう呟くようになったそうだ。
この話はかぁなっきさんによるツイキャス『禍話』 『禍話R 第一夜』(2018年10月12日)
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/499591643
から一部を抜粋、再構成、文章化したものです。(1:05:50くらいから)
題はドントさんが考えられたものを使用しております。
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禍話リライト 孫が走る
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