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冷凍庫であり、電子レンジでもある僕の時間遊泳

「アートを教えることは、冷凍庫と電子レンジを同時に使うようなものだとしたら、どう思う?」

「アートを教える」というのは強烈な矛盾を孕んでいる。
例えば僕は講師であり、思考する人であり、知識に飢えがあり、仕掛けを解き明かしてしまう人。
実は、それはとても無粋で、芸術から程遠い行いでもある…タネの割れた手品ほどつまらないものはないからだ。
(ちなみに僕はこの現象を「伝説の怪盗と名探偵の関係」と言って例えている。)

それが講師をしながらアーティストを出来ない最大の要因であり、僕が僕の魅力を伝える上で葛藤を抱えてしまっていた原因だった。

ところが先週、
遂に僕はその難題を乗り越えてしまった。 

僕は受け身に徹し、自身の人間臭さを抑えて相手を主人公にしてしまう技術と、
反対に能動的になり、個性を強めて自分を主人公にしてしまう技術の両方を理解してしまったんだ。

それはひとえに、
「人間臭さ」のコントロールだった。

人のリアルさの正体

その本質を捉えたその日から、この感覚をすぐに出力せず、5日間ほど寝かしてみた。
(「寝かす」というのは、時間を与えることで感覚がさらに研ぎ澄まされる技術で、これも他人から盗んだものなのけど、それについてはまた別の時に)

気づけば僕はそれをコントロールできるようになってしまった。それはある種、心を操ることでもあり、時間を操る力でもあった。

その正体は何だったのか?

人間臭さとは、
「不完全さ」と「感情の揺らぎ」だった。

不完全であることが欲求を生み、理性と本能の葛藤が揺らぎを生む。
矛盾の中、迷いの中にこそ人間らしさはある。
安易に答えを出してはいけないんだ。
悩む姿こそがリアルであり、欲望と葛藤のジレンマこそがドラマになるということだ。

「においを操る」ということ

この「揺らぎ」を表現する感覚は、さながら香水のようだ。
緻密に調合された感情の揺らぎが空間に漂い、人の心に残り続ける。

例えば、僕がトレーナーとして人前に立つとき、主役は相手なので僕は相手の不完全と欲求を理解する。
僕自身は完璧な僕になり、その瞬間に集中するだけのマインドフルな状態になる。
逆に、シンガーとして舞台に立つとき、主役は僕になる。
僕の不完全さと欲求を滲み出させ、伝えることで、冷凍していた人間臭さを解凍し、加熱して芳しくする。
そのとき僕の心はマインドフルどころか、過去や未来へ自在に飛ぶ。
僕は人間臭さを制御することで時間感覚までも操作できるようになったんだ。

問いを返すということ

多くのアーティストは後者に強く振っていると思う。
特にシンガーほど、答えを提示する人ではなく、問いかける者であるべきだと思う。
人間臭さがないとそこに共感は生まれない。

では僕のようにある種の悟りを得た者がアーティストらしいことをする時どうするか?
これについて随分長いこと悩んできたけれど、答えは実にシンプルだった。

「答えを問いに戻す」

それだけだったんだ。

次元が変わる感覚

この「揺らぎ」を操りながら、自分が食したものと同じ香り、同じ味を他者に届けること。
僕がトレーナーとシンガーの両方を行き来するのは、自由に歩ける次元が広がった感覚に近い。
まるで生きる世界そのものが変わったかのようだ。

あぁ、僕はまた進化してしまった。
時間を凍らせては、温めて再び動かしている。
これは本当に遊泳するような感覚だ。なんて甘美なのだろうか。

この感動を胸に留めて置けなかったのも、また人間臭さなんだろうな。

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Yoshiki /Voice & Mind coach
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