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60〜70年代ドラム缶の家をめぐる青春群像

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届いたがそれは1973年のやつだ!

実家から箱が届いた。

川合健二マニュアル、うんこれが羅針盤になるはず。

さて、つぎは1966年のアサヒグラフを、とのオーダーだったけど……。

いつのかわからない。

どうもおかしい。本文に「ヒッピー」という言葉も出てくるし。
1966年であればまだヒッピーという言葉はたぶんアメリカでも一般的でないはず。だって、モントレー・ポップ・フェスティバルよりも前なんだもの。

発行年を見ると1973年

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アサヒグラフも実家にあった

実家に電話して、「川合健二マニュアル」を送ってもらうことに。ためしに、「1966年の川合さんちが載ったアサヒグラフある?」と聞いたら、あるとのこと。
やったね。これで「日本の古本屋」で漁る必要がなくなった。

到着までしばらく待とう。

ドラム缶の家をめぐる若者たち

愛知県三河地方。
ここには60年代から70年代にかけて、そして今もひっそりと、ドラム缶つまりコルゲートパイプを外壁として、使った建築群が残っている。

この連載は、それら建築群を作った人たちがどんな人たちで、なぜ愛知県の三河、特に東三河地方であったのか。
そこにはどんな共通認識があり、青春群像があったのかを、時間をかけてでもいいから追ってみたいと、僕は考えた。

僕自身は、それらドラム缶の家群のひ

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