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【過去ログ】伏見御香宮神社と寺田屋(20200104)

まだ東京にいた頃、年末年始に京都に帰省して母と出かけた初詣の伏見御香宮神社その他の写真。今ならもっとしっかり勉強してくるのだけど、当時は適当だった(^_^;) 気になった彫刻の写真くらいしか撮ってない…とりあえず記録として置いておく。

おやつ休憩は大手筋商店街の「油長茶舗 茶寮油長」で!お茶屋さんの奥にある喫茶で、抹茶スイーツが充実してます。

大手筋をどんどん行って、南へくだると竜馬通りというものがあり…
このような顔はめパネルがいたるところに(笑)
そのまままっすぐ行くと寺田屋に出ます

この寺田屋、ウィキ参照すると書いてありますが↓

現在の寺田屋(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされているが、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった[4]

平成20年(2008年)になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。
(中略)
大正年間に現在の寺田屋の土地・建物は幕末当時の主人である寺田家の所有ではなくなっており、のちに経営そのものも跡継ぎのなくなった寺田家から離れている。

現在の寺田屋の13代目当主の頃は戦時で料飲閉鎖などがありその前の当主は商売気がなく、旅籠の軒燈も大提灯もなく屋号も示していなかったが、昭和36年に第14代当主になった安達清が第14代寺田屋伊助を自称しそれらの表示を始めた

Wikipedia

実は私が高校生だった30数年前、友人のお母様が寺田屋で働いておられたので、友人数人で寺田屋見学させてもらったことがあります。当時はホンモノだと信じていたので無邪気に喜んでいましたが、今思うと…(^_^;)

この14代目だかそのあとの15代目だかわかんない寺田屋伊助を名乗るおじいさんともお話しましたが(手相占いが趣味だというので手相を見てもらった)まさかの偽物だったんですねえ。余談でした。

伏見界隈はまた改めてちゃんと行きたい。

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