「情けは人の為ならず」をもう少しごまかさず理解してみる

「情けは人の為ならず」という言葉がある。
人に親切にすることで、それが自分に良い形で返ってくるという意味である(「親切は相手の為にならないからするべきでない」というのは誤った意味だという話はもう今さらしない)。

いつか小さい頃に祖母にも似たような話をされたことがある。「人を優しくすれば、それが巡り巡って自分のためになる」と。

当時の私はこの言葉にあまり納得していなかった(今も昔も祖母のことは大好きなのだが、それはそれとして)。
自分のことを置いておいて相手を優先するなんて損するに決まっている、と直感的には思っていた。
「巡り巡って自分のためになる」っていうけどどう巡り巡ったら自分に戻ってくるんだ?だいたい「巡り巡る」って曖昧すぎないか?と、自分の頭の中ははてなマークだらけだった。
納得できなさすぎて、しまいには「私に自己犠牲をさせるために嘘の言葉を作って騙そうとしているんじゃないか?」と陰謀論チックなことを考える始末だ。

大人になった今は「情けは人の為ならず」という言葉はある程度腑に落ちていて、同意できる。
どうして昔あんなに納得できなかった言葉が今はちゃんと腑に落ちているんだろう?と思って、考えてみた。
すると、昔と比べて、今の自分はある言葉を知っているからだという結論になった。そのキーワードが「返報性の原理」だ。

どうやら人間は、他人にしてもらったことはその人にお返ししたいと思うらしく、それを「返報性の原理」というらしい(余談だが私はこれを「かぐや様は告らせたい」で知った。漫画って勉強になるね)。
私もこの返報性の原理については心当たりがある。人に優しくされたらその人に優しくしたいと思うし、逆に嫌なことをされたら仕返ししてやりたくなる。
心当たりがあるので、返報性の原理についてはすんなりと腑に落ちた。

となると、「情けは人の為ならず」についてもこれで説明できそうだ。

  1. 人に親切にする。

  2. その人は私に対して返報性の原理が働き、私に親切にしたいと思う。

  3. 私はその人に親切にしてもらえる(可能性が高くなる)。
    つまり、自分がした親切が自分に戻ってくる。

こういう流れができるから、「情けは人の為ならず」はある程度本当なのではないかという理解をしている。

当時の自分にもし会えるのであれば、返報性の原理なんて小難しい言葉を使わないように注意して、

「優しくしてくれる人にはあなたも優しくしたくなるでしょ?
それは他の人も同じなんだよ。
ってことはあなたが他の人に優しくすれば、あなたはその人に優しくしてもらえそうだよね。
だから人には優しく、親切にするんだよ。」

みたいな説明をするだろうか。
人に優しくする理由がこれだとあまりにも打算的すぎて、小さい子供にする説明として正しくはないような気もするので、異論は認める…

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