大岡弘晃さんの絵
2021年の11月、飼っていた老齢のミニチュアダックスフントの容体がぐっと悪くなった。12歳でアダプトしてから一緒に暮らしたのは3年ほどで、年齢も15歳6ヶ月になろうとしていたので、そろそろ覚悟を決めないといけないかもしれないと日々うっすらと考えていた。
仕事もテレワークになっていたのでほぼつきっきりでケアできていたものの、朝晩で変わる容体にばかり気持ちが行き、犬のことも自分や家族のこともどこか本当には向き合うことができていなかったように思う。
ある日、弱っていた犬の目に少し光が戻り、シリンジであげたご飯も吐き戻すことなく過ごせていたことがあった。ふと、近くの海街で前から気になっていたアーティストの大岡弘晃さんの個展が開催される時分である事を思い出し、少しの時間であれば大丈夫だろうと出かけることにした。
電車とバスを乗り継いで着いたこぢんまりとした明るいギャラリーの中には、大岡さんの流動する色彩が生き生きと散りばめられていた。
会期を通して仕上げていくという作品も数点あったためだろうか、空間自体が作品とともにたゆたっているような幻想的な雰囲気の中で一点、なんだか目がいく小さな絵があった。
明らかに描き出したばかりで、まとっている色彩もまだあっさりとしている。スタッフの方に聞いてみると、その作品は会期中に作成を続ける予定なので、仕上がるまでに2週間程度かかる見込みだという。
それでも構わないと思って購入を決めた。
大学で美術を専攻していたにもかかわらず、絵を購入するというのは初のことだった。
私が家の外に出て新鮮な空気を纏う必要がある事を、私のからだと犬は知っていたのだろう。ガチガチにこわばっていた心に少しだけ空気が流れたような気がした。うちに迎え入れる絵がどんな風に仕上がるのか、楽しみもできた。
それでも、それから間もなくして犬は旅立っていった。
犬を見送るのは初めてではないので、いざそうなる前にやっておいた方がいいと思い、どこで火葬してもらうかは予め決めてあった。かわいがってくれていた知り合いへの連絡も済ませ、その後数日は見送ることに集中できたのだが、やることがなくなると途端に悲しい気持ちが押し寄せた。
何を見ても聞いても食べても、薄ぼんやりとしか感じることができない日が続いたある朝、目覚める直前に犬の気配を感じた。そしてふと頭に言葉が浮かんだ。
「プレゼントだよ」
クリスマスイブの朝のことだった。
起きてきた夫にそのことを話し、久しぶりに少し明るい気持ちになるのを感じた。そして、暮れも差し迫ったことだしカレンダーをチェックしておこうとスマートフォンを開いたところ、大岡さんの作品が仕上がるタイミングとのメッセージが表示され、その日は仕事も休みだったのでギャラリーに向かうことにした。
ギャラリーに着くと、大岡さんは最後の仕上げ中とのことで少し待たせてもらうことになった。会期初めの頃にあった作品はより鮮やかさを増して光を放っていたし、また新たに描き始めたばかりの作品は生命力あふれる息吹をたっぷりと湛えて人を惹きつけていた(なんと会期終了間際になってもまだ大岡さんは制作を続けていらしたのだ!)。
しばらくその溢れんばかりの色彩を堪能していたら、奥から大岡さんが出てこられ、「気に入っていただけるかな〜。いつも最後渡す時は緊張します」とはにかみながら絵を見せてくださった。
受け取った絵は、最初に見たときよりもぐっと色濃く鮮やかになっているのに透明感が増していた。
夜明けと夕暮れ
海と太陽
風と光
そのせめぎ合いの中から生まれてくる命のきらめき
「どうですか?」と大岡さんが聞いてくださっているのに、感じていることを言葉にできなかった。言葉では追いつかなかった。
すると大岡さんは察してくださり、絵の下部に流れるような文字で何か書いてある部分を指し、「Respawn here 愛と一緒に って書きました。生まれ変わるっていう意味です」とおっしゃったのだ。
「プレゼントだよ」
涙が止まらなかった。
その理由を大岡さんにきちんと伝えられたか定かではない。
ただ、「絵って、行くべき人のところに行くものです」と言ってくださったことを覚えている。
それ以来、折に触れて犬のことを思うたび、何かしらのメッセージを受け取れるようになった気がしている。
道端に咲き始めた菫
パチンコ屋のギラギラと光る虹色のネオン
空にたなびく雲の流れ
姿を変えてずっと伝え続けてくれている。
愛しているよ。