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Walk with JOJO その③

前回その②はこちら


ジョジョの箱庭

1997年5月3日に個人サイトを開設し、その一部として日本の3ピースバンドPLAGUES(プレイグス)のファンサイト「PLAGUES PLACE 777」と、ジョジョサイト「MINIATURE GARDEN OF JOJO」をオープンした。
当時誰もがホームページに付けていたカウンターは、第3部「アヌビス神その①」に登場する病院の領収書で使われているアラビア数字の画像で作った。

カウンターに使っていた0〜9の画像
当時のバナー

最初のメインコンテンツは、キャラクター・スタンド・必殺技・名勝負・表紙イラストそれぞれについて、訪問者に投票してもらうランキング。当時も自動で結果を反映するCGIなどはあったと思うが、期間ごとの総評や傾向などのコメントを付けたりしたかったので、あくまで管理人の自分が投票をある程度まとめた後に更新するスタイルにした。「ジョジョの奇妙なページ」の掲示板システムの踏襲だ。
また、Performa 5440にバンドルされていたソフト「キューティーマスコット」で64*64のドット絵を作成することができたので、SD化した様々なジョジョキャラのドット絵も掲載するようになった。ドット絵のテイストとしては、同じ格闘ゲームで例えるとKOFのような立体的なタッチというよりカプコン製格ゲー的な輪郭線強めのアニメタッチのもので、2003年に更新が止まるまで、最終的にメジャーからマイナーまで荒木作品の226体を作成・掲載した(ジョジョは第6部まで・後にpixivにまとめて掲載した「昔作ったドット絵」をご覧ください)。キューティーマスコットは本来Macのデスクトップを動き回りマウス操作等に反応するマスコットを作るソフトだったが、ドット絵を量産する方が楽しく、マスコットについてはシュトロハイムを1回作っただけに終わった。
ランキングの更新が止まったのはドット絵よりも早く、第6部の序盤頃にやめてしまったようだ。更新作業は楽しいものの、手動で表を修正することが果てしなく面倒だったため、続かなかった。(もちろん表計算ソフトを使って集計していたが、HTML上での編集に手間が掛かった)

ジョジョサイト諸行無常

自分がサイトの更新に勤しむようになる一方では、寂しいこともあった。ネガティブな出来事であまり振り返らなかったため具体的な時期や内容は忘れてしまったが、初めてジョジョオタとしての居場所になってくれた「ジョジョの奇妙なホームページ」が閉鎖された。原因はネット社会の現在ならわりとありふれたもので、管理人のTKG氏が自作自演的な振る舞いをしたことで悶着があったのではなかったか。初めて「オフ会」というものに参加したのも「ジョジョの奇妙なページ」主催の会だったり(たぶん)、思い入れもあったので結構ショックだったのを覚えている。
それがきっかけだったのかは覚えていないが、同じ頃、ジョジョサイトも増えてきたため総合リンク集的なサイトを作ろうという話が「ジョジョの奇妙なページ」常連の間で持ち上がった。チャット等で話し合った結果、IS君が管理人を務める「ジョジョネット(JJN)」が立ち上がった。登録サイトの管理人が更新情報を書き込む掲示板等もあり、JJNが当時どんどん増えていったジョジョサイトの盛り上がりを体現していたように思う。しばらくしてIS君は留学のためJJNを退き、後任のOKさんが長い間管理を続けていた。
その頃のジョジョサイトで特に印象が強いのは、Yやんによる「なんでもアリアリアリアリアリーヴェデルチ」。Yやんは確か子持ちの主婦の方だったと思うが、前述のK-Rさんとは別方向で熱量が半端なく、センスとかは二の次でくだらないネタ中心に(?)膨大なテキストを毎日更新し続けていた。
「ジョジョの奇妙なページ」古参のYBさんによる「双方向対戦小説ジョジョ魂(ジョジョコン)」(※リンクは有志によるアーカイブ)も思い出深い。二次創作として文章を得意とするマッチメイカーの元、2人のプレイヤーがジョジョキャラをそれぞれ1人選び、対戦。それを小説として裏のやりとりと共に発表するものだ。遊んだことはないがTRPGというものの亜種…になるのだろうか?自分は7作目の「サーレーVSサーレー」にプレイヤーとして参加させてもらった。

本物のジョジョゲー

ネットでのファン活動もますます盛り上がりを見せる1998年、公式では大きな出来事があった。カプコンによるアーケード対戦格闘ゲーム「ジョジョの奇妙な冒険」だ。自分とアーケード格闘ゲームの関わりは薄く、高校時代に周りで「ストリートファイターⅡ」(スト2)が流行っていたが触れず、その後見かけた「ヴァンパイア」のキャラが面白かったので、「ヴァンパイアセイヴァー」の初期まで少し遊んだ程度。だが、「ヴァンパイアハンター」のキャラ、ドノヴァンが電撃の超必殺技でスタンドみたいなデザインの精霊(エレメンタル?)を繰り出していたのは気に入っていた。ジョジョの格ゲーについては8月頃に発表があり、「ヴァンパイアのような外連味のあるグラでジョジョキャラが躍動している!本物のジョジョゲーだ!」と期待が高まった。
ロケーションテストが始まったのが11月。大阪が先行し東京でロケテが行われたのはその下旬、会場である新宿西口スポーツランド2階に通った。12月に稼働が始まってからは大学近くのゲーセンに通い詰めになった。格闘ゲームについては初心者同然だったが、まだまだマイナー作であるジョジョのファンとしての意地から、「ジョジョを読んだこともない格ゲープレイヤーに負けるわけにはいかない」と、へぼゲーマーなりに金をつぎ込んで頑張った。使用キャラは最初にイギーを使っていたが、そのうちポルナレフがメインになった。翌年にキャラが追加された「未来への遺産」が稼働してからも、ヴァニラアイス、ペットショップ、カーン、ラバーソールなど一通り試したあとにポルナレフに戻ってきた。ロケテでペットショップ慣れしてから稼働当初に鳥無双して調子に乗ったことは許して欲しい。
プレイの参考にしたのは、やはり「ジョジョの奇妙なページ」古参だった(と思う)当時高校生のK君が開設した攻略サイトだった(K君は前述のサーレーVSサーレーでは対戦相手になった)。自分の実力では全体のレベルが正確には分からないが、彼は相当上級のプレイヤーで、サイトには全国各地の強者が集って掲示板でいろいろ議論していたり、会って対戦していたりするようだった。すぐになくなってしまったというこのゲームのシークレットファイルの内容も、彼のおかげで見ることができた。K君は医師になると言ってそのうちネットからフェイドアウトしていったが、元気にしているだろうか。

シークレットファイルの一部

第5部完結・初めてのインターバル

ジョジョサイトの隆盛・ジョジョゲーの大人気と、第1部〜第4部までとは明らかに違う環境の中ファンの間では非常に盛り上がった第5部は、1999年4月に完結を迎えた。ディアボロを倒した後にじっくりと描かれたエピローグ"眠れる奴隷"、その後ボスになったジョルノの姿が出るというあっさりとした最終回からは、これまでと少し違う印象を受けた。そして次週からの新しいジョジョについての告知がなかったことは衝撃だった。第5部もジャンプでの掲載順は決して恵まれていたわけではなかったため、このままジョジョ・サーガも終わってしまうのかという不安があった。
ただし、同時期に発刊された雑誌「モンスーン」Vol.2では、先生がインタビューで第6部についての構想が「ある」ことを明言していたため、少しは落ち着いて新章を待つことができた。

ラフタッチの表紙イラストは珍しい。慶應SFCのゼミ生が創刊・発行していた雑誌らしい
ちょっとイキり過ぎな気もするが、気持ちは分かる

(その④へ)

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