異形のなおこ
「親の因果が子に報い~」ってな呼びこみで始まる妖怪変化の見世物小屋。
なおこは「ろくろっ首」だった。
「ろくろっ首はな、どんどん首が伸びて、ついには胴体から抜けちまう。その間に胴を隠してしまうと、ろくろっ首は胴を探して狂い死にするんじゃ」
そして、
「そいつを、ほれ、抜け首と言うんじゃぁ!」
親代わりの仙助が口上を述べ、客を脅す。
その機を狙って、なおこは首を伸びるだけ伸ばして、客の頭の方に覆いかぶさる。
うひゃぁ
きゃぁ
横山なおこは、東寺(とうじ、京都の真言宗の本山)の「弘法(こうぼう)さん」の、見世物小屋で働いている。
毎月二十一日に縁日が東寺であり、そこに馬野仙助(ばのせんすけ)といっしょにやってくる。
仲間には侏儒(しゅじゅ、こびと)の九助(きゅうすけ)や、「いざり」のみつ子、彼女は生まれつき「みつくち」なのでそう呼ばれていた。
九助は侏儒のくせにチンボがでかいので、それを面白がって仙助が、なおこに触らせて立たせて、見世物にするのだった。
いざりのみつ子のあそこに入れて「まな板」ショウをやって、荒稼ぎをしている。
ケイサツがうるさいので、めったにしないが。
この辺には、『DX(でらっくす)東寺』というストリップ小屋もあった。
なおこは最初、そこの踊り子だった。
あそこにバナナを入れて、切ったり、シャボン玉を膨らましたりする芸が得意だった。
馬野はそこに出入りしていた客で、年季の明けたなおこを受け出して、自分の「新事業」に使って儲けようとしたのだった。
かくして、なおこは馬野の愛人兼見世物となった。
当然と言うか、なし崩しに、夜は「みつ子」と「なおこ」の二人が馬野に奉仕させられるのだった。
さて「ろくろっ首」の芸だが、なおこが人より首が長いということはあったが、伸びるわけではない。
白粉(おしろい)をあごの下から細く消えるように塗り、薄暗い中で照明をなおこの首のあたりだけに当てると、あたかも首だけが浮き上がったように錯覚するのだった。
おしろいには胡粉(ごふん、貝殻の砕いたもの)が混ぜてあり、わずかの光でも強く反射するのだった。
こういうことは、なおこ自身が考えて、馬野を助けたのである。
踊り子だった時代に、贔屓(ひいき)にしてくれていた京都帝大の学生で、畠山(はたけやま)とかいう理学士にいろんなことを教わっていたのだ。
なおこの手作りの幻燈をつかって、赤や青に染めたセロファン紙に映った画像を大きくし、客に幻覚を見せたり、たわいのないものだったが、馬野の話術が巧妙で、客たちをたいそう怖がらせて評判だった。
なおこは、当時珍しかった電気を使った仕掛けでも客をよろこばせた。江戸時代に平賀源内が阿蘭陀(おらんだ)人から譲ってもらったという「えれきてる」を畠山の指導でカステイラの木箱とガラス瓶でつくり、雷光を暗がりで飛ばす演出もやってのけたのである。
興業が雨であまり芳しくなかった夜、仙助が「みつ子」を犯していた。
動けない「みつ子」は不自由な口で、なおこに助けを求める。
なおこは、見ないふりをしてふすまを閉めてしまった。
仙助に逆らったら、自分がひどい目に合わされる…
ところがそれを盗み見ている九助が大きなチンボを立てて、まるっこい手でしごいている。
三本目の足かと見まがうような一物に、なおこも目を瞠(みは)った。
「なに、しとんの?」
「おれも、やりてぇ」
「きのう、したやん」
「また、してぇ」
馬野がみつ子とやっているのを見て、気が高ぶってきたのだろう。
「したげよか」
「うん」
小人の九助がなおこに飛びかかかってきた。
ふすま一枚隔てた二つの部屋で、別々にまぐわいが行われていた。
「あうっ」
太い九助のものが、なおこを後ろから貫く。
何度もえぐられているとはいえ、その巨大なものは、なおこには大きすぎた。
「ああ、ああ、ああああ」
ものの数分で、九助はあっけなく果てた。
「ちょっとぉ、中に出したん?」
「すまん」
「困るわ、あんたみたいな子がでけたらどうしてくれんの?」
「ええがな、ここで見世物にしたら」
「七人の小人で、あたしが白雪ってか?」
「ははは、それええね、七人産んでもらわなな、なおぼん」
「あんたがおったら、六人でええやろ」
なおこは、流れ出る小人の子種を始末しながら、答えた。
すさんだ世の中である。
(差別的な表現がありますので、ご了承ください)