見出し画像

電話のひと(1)

ぼくは電話がかかってくるのを少しだけ期待していた。
最初は、「なんだ宗教の勧誘か」と、うさん臭く思って適当にあしらっていたけれど、その中島さんという落ち着いた声の女性に惹かれるものもあった。
ぼくが引きこもって、寂しい一人暮らしであることも原因だった。
こんなぼくにでも親しく話しかけてくれる女性がいるのだと思うとうれしくもあるのだった。
新型コロナウィルスが蔓延してもうすぐ一年が過ぎようとしている。
世間で、引きこもることが目立たなくなったのは、このウィルスのお陰と言えば言えなくもなかった。
ぼくは、人と面と向かっては話せないけれど、電話だと少し平気でおしゃべりできることに気づかせてくれたのも中島さんだった。
中島さんは、聞き上手で、決して宗教の勧誘をしないのである。
最初は、なんとかの証人だと名乗りはしたものの、いつも聖書の一節を引いて、現代の世相や悩みの根本を解きほぐしてくれるような、静かな語り口なのだった。

中島さんが電話をしてきてくれるのは二週間に一度か、三週間に一度くらいのお昼前か、たまに午後という定まらない掛け方だった。
頻繁にかけられても、ぼくのほうが敬遠するだろうし、その焦(じ)らし方が絶妙なのだった。
「どうして、ぼくなんかに…」そういう疑問は都度あった。
いつか入信させようと、もくろんでいるのか?
しかし、もう十回ぐらい話したが、一向に集会に誘ったりもしなかった。
住所を調べてぼくの居場所に勧誘に来ようと思えば来ることはできるだろうに、それもないようだった。

最近、中島さんの姿をいろいろ想像することが多くなった。
ぼくは女性とお付き合いをしたことがない。
学校を卒業して、いくつかの職に就いたけれど、いつも対人関係でうまくゆかなかった。
そして、離れて住む親に仕送りをしてもらって、前の職場のときから住んでいるアパートにそのまま暮らしている。
その暮らしも来年で三年目になる。
これではいけないと、ハローワークに通い始めているが、今年は新型コロナのせいでまったく求人がないのである。
前の職場を辞めたときに出た退職金と親の仕送りでなんとか食いつないでいる今のぼく。
携帯電話もスマホも持っていないけれど、ただ固定電話だけはここに住んでから引いてあった。
インターネットは前の職場では少しやったことがあったが、パソコン自体、ぼくはあまり使ったことがなかったので、そこから情報を得るということができないでいた。
テレビはアパートに共聴システムがあって、壁に地デジアンテナのコネクタがあるから、そこに父に買ってもらった20インチほどの小さな液晶TVをつないで辛うじて情報は得られている。
勤め人になって、一人暮らしをすると決めた時、両親はよろこんでTVと洗濯機と冷蔵庫と電子レンジ、オーブントースターを買ってくれたのだった。
一人っ子のぼくを、それはそれは大事に育ててくれたのだった。
感謝に堪えない。
いまの自分を思うと、涙がこぼれる。ぼくは涙もろかった。

ルルルル…
電話が鳴った。きっと中島さんだ。
ぼくは、嬉々として受話器を取った。
「こんにちは。中島です」
やっぱりそうだった。
「こんにちは」ぼくは挨拶を返した。
「きょうは、いいお天気ですね。イエスがバプテスマをお受けになって名実ともにキリストとなられた日もこのように気持ちのいい晴れの日でした」
「はぁ…」ぼくは要領を得ない返事をしている。
バプテスマとは洗礼のことらしい。中島さんの話は、洗礼のためにヨルダン川で沐浴をしていたイエスの頭に一羽の白い鳩が舞い降りたことで神の啓示を受けて「キリスト」となったというような内容だった。
ぼくはそんなことよりも、中島さんの静かな、優し気な声に聞きほれていた。
そんなに若い声ではない。五十代くらいだろうか?四十代かもしれない。
「あの、中島さんは結婚されているんですか?」ぼくは不躾(ぶしつけ)だと思ったが、話の腰を折って質問してしまった。
「…私…ですか」「はぁ」「結婚はしてました。子供もいました」と続けられた。
「夫だった人は、私から離れていきました。子供はその人の親元に引き取られています」
「そうだったんですか。つまらないことを訊いてしまいすみませんでした」
「いえ、いいのです。岩崎さんはおひとりなんですよね」
最初にそんな話をしたことがあったのを、中島さんは覚えていたのだろうか。
「そうです」「ご両親とも、お暮らしでもないんですね」「まったくの一人暮らしですよ」
「お付き合いしている女性の方とかは?」「いません…」
しばらくあって、
「ひとそれぞれですもんね。結婚がすべてではありませんし」と、慰めともつかない言葉をかけてくれた。
「私は、信仰にのめりこんで、主人も子供も失ってしまったのです。でも後悔はしていません」
「そうなんですね」
「こうやって岩崎さんとお話することが、私にとっても生きる張り合いにもなるんです」
「そんなものですかね。たとえば、ぼくが中島さんに会いたいと言ったら?」
「会いましょうか?」
「勧誘とかなしでですよ」
「ええ、もちろん」
「二人っきりでも?」
「ええ、いいですよ」
「危険とか思わないんですか?」
「ふふ…こんなおばさんを、どうしようって言うんです?」
といって、中島さんは初めて軽やかな笑い声を聞かせてくれた。
「どうもしませんが、声が、お若く聞こえますよ」
「まぁ。ありがとう。これでも五十は超えてますのよ」
「じゃあ、ほんとうに会ってくれますか?」
すこし間があって、
「そうですね…じゃあ、次の日曜でもお会いしましょうか」
日曜礼拝のあとに会ってくれるということになった。
駅前のコンビニで待ち合わせることにした。

それからというもの、ぼくの頭の中は、想像の中島さんでいっぱいになっている。
あの落ち着き払った声…もし男女の関係になったら…どんな声でぼくに話しかけるのだろう。
五十を過ぎているというからには、かなりおばさんだが、女の色気も残っているにちがいない。
ぼくはどちらかというと年上好みだった。
何度か勇気を出して風俗で遊んだときも、選ぶ相手は少し年上に見える嬢を選んだものだ。
万年床の中で、まだ見ぬ中島さんを想って自分を涜(とく)した。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?